アドマイヤコジーンを訪ねて~社台スタリオンステーション
14歳。いつの間にか真っ白になったアドマイヤコジーンがいた。2歳時から白さが目立つ馬だったが、今ではまぶしいばかりに白くなった。激しい気性は現役時代を彷彿させるもので、放牧地を駆ける姿が美しい。
父コジーン。母は英国1000ギニー馬のミセスマカディーとノーザンテーストとの間に生まれたアドマイヤマカディ。「アドマイヤマカディって馬はノーザンテーストによく似た馬でした。脚元が弱く、競馬には出走できませんでしたが、コジーンを配合するために米国に渡り、そして受胎した状態で帰国させて生まれた馬です。壮大な血のドラマですね」とかつて取材させてもらった大樹ファームのスタッフの言葉を思い出した。
そんな人間たちの期待に応えるように抜群のスピードを武器に新馬戦を9馬身差で、その後も重賞を2連勝して、同年の2歳チャンピオンになったアドマイヤコジーンだが、そのあとは悪夢のような出来事がアドマイヤコジーンを襲う。
1月末の調教中に右後脚を骨折し、クラシックを棒に振る。しかも、治りかけた矢先に今度は左後脚を剥離骨折。復帰までに1年7か月もの間を要することになった。サラブレッドにとっては気の遠くなるような時間だ。復帰後もトウ骨の骨膜炎に悩まされて勝てない日が続いた。
「もう、勝てないんじゃないか」。そんな声なき声を打ち消したのが2002年の東京新聞杯(G3)。かつてのスピードを取り戻したアドマイヤコジーンは3年ぶりの先頭ゴールを重賞レースの舞台で飾り、安田記念(G1)では3年6か月ぶりのG1タイトルを手中にした。まさに、馬の名誉を守った1戦だった。
そして、2003年から社台スタリオンステーションで種牡馬となった同馬は、ジャングルポケット、タニノギムレットやマンハッタンカフェらを抑えて新種牡馬チャンピオンになった。「マイル戦を走るために生まれてきたような馬で、実際にマイル戦で抜群のスピードを見せてくれました。種牡馬としても、マイルのG1勝馬を出しています」というのは社台スタリオンステーションの佐藤剛さんだ。たしかに、血統表にはマイルのG1勝馬がずらりと居並ぶ。それはサラブレッドの資質を語るうえで、何よりも雄弁だ。
いまは雌伏のとき。種牡馬としての能力の高さはすでに実証済みなので、現役時代同様に復活の狼煙をあげて欲しいものだ。