馬産地コラム

アドマイヤマックスを訪ねて~ビッグレッドファーム

  • 2010年11月08日
  • アドマイヤマックス
    アドマイヤマックス
  • アドマイヤマックス-2
    アドマイヤマックス-2
  • アドマイヤマックス-3
    アドマイヤマックス-3

  ビッグレッドファームの放牧時間。馬房から出されると、急に元気になった。担当者がまっすぐに歩かせようと苦心している。手綱を解き放たれると入口から斜面になっている放牧地を駆け下りる。さすがサンデーサイレンス産駒のG1ウイナーだ。11歳になっても、そのスピードに翳りはない。 

  「何を考えているのか、よくわからない馬なんですよね。普段は馬房からずっと外を見ていることが多いです」とスタリオンスタッフが苦笑いをする。訪れたとき、アドマイヤマックスは馬房の壁に向かってたたずんでいた。声をかけても反応してくれない。

  決しておとなしい馬ではないが、うるさい馬でもない。ひと言でいえば「マイペース」だそうだ。人も馬もあまり好きではないようだが、寂しがり屋の一面もあるそうだ。1頭でほおっておかれるのはお気に召さない。放牧され、ひとしきり走り回ったあとは牧柵沿いから離れようとしない。

  そういえば1200㍍の高松宮記念(G1)に勝ったとき、生産者であるノーザンファームのスポークスマンが「昔を思い出せば菊花賞で2番人気だったんですよね。改めて競走馬の難しさみたいなものを感じます」と言っていたことを思い出した。確かに、あのときは取材者もそう思った。ただし、今改めて成績をふりかえると1700~2400㍍の距離では4回走ってすべて馬券の対象になっている。1番人気に支持されたことは6度あるものの1勝2着1回。重賞3勝2着2回はすべて左回り。分かり易いのかつかみどころのない馬だったのか、いまだによくわからない。

  天才ランナーと称された2歳時。3歳春のクラシックは骨折に泣いたが、秋に復活するとわずか4戦のキャリアで菊花賞(G1)に駒を進めた。その後は度重なる故障に泣かされ、善戦しながらも勝ちきれないレースが続いた。いつしか“未完の大器”から“善戦マン”へ。そして“元・天才ランナー”へと評価が変わろうとした矢先のG1制覇。電撃の6ハロン戦で後方から追い込んでの2馬身半。その差は圧倒的な力の差を示すものだった。

  そして引退。種牡馬になった当時は日高町のブリーダーズスタリオンステーションと新冠町のビッグレッドファームを2年ごとに往復するシャトルスタリオンとして活躍したが、現在はビッグレッドファームでの種付けに専念している。大物こそでないが、勝ち上がり率は悪くない。その中から、あっと驚くような大物が出てくるに違いない。