フジノテンビーを訪ねて~岐阜県・岐南乗馬クラブ
2000年のデイリー杯3歳ステークス(G2)を制したフジノテンビー(牡12歳、父テンビー、母ローズホーラー)を岐阜県羽島郡岐南町の岐南乗馬クラブに訪ねた。
本馬は2000年5月、笠松の中山義宣厩舎からデビュー、地方重賞2勝を含む5連勝の戦績でデイリー杯3歳ステークス(G2)に挑戦、前年の同レースを同じ笠松のレジェンドハンターが制していることもあり1番人気に推され、期待に応え見事に勝利した。
2001年、笠松所属のまま挑んだ皐月賞トライアルのスプリングステークス(G2)では14着と大敗。中央競馬(美浦:畠山吉宏厩舎)に移籍して、NHKマイルカップ(G1)に挑んだが8着に敗れた。舞台をダートに戻したユニコーンステークス(G3)では2着に入り能力の片鱗を感じさせるも、その後は勝ち星を挙げることが出来ず、翌2002年、船橋の川島正行厩舎に移籍した。
船橋に移籍すると緒戦の千葉日報賞で1年半ぶりの勝利を挙げると、次走の報知オールスターカップを優勝、以後は南関東の重賞戦線で掲示板を賑わし、6歳となった2004年に古巣の笠松競馬場(後藤保厩舎)に戻って来た。笠松競馬での晩年は脚部不安との戦いで厳しいレースが続いたが、9歳となる2007年11月まで長く走り続けた。通算成績は71戦13勝(中央8戦1勝、地方63戦12勝)。
前年のデイリー杯3歳ステークス(G2)を制したレジェンドハンターとは、血統が似ている(本馬の母母ミスティローズは、レジェンドハンターの母サクラソフティーと1歳違いの全姉妹)だけでなく、1日違いで引退レースを行い、共にBTC「引退名馬等のけい養展示」の助成金制度を受けて余生を送る事となり、不思議な縁を感じさせた。
引退後のフジノテンビーは、現役時代に過ごした笠松競馬の厩舎群に隣接する「岐南乗馬クラブ」で余生を過ごしている。代表の栗本三郎さんに本馬の近況について伺った。
「引退後すぐに、こちらで面倒を見る事になりましたが、引退時期の関係で『BTCの功労馬助成制度』は2009年から受けています。こちらに来てから脚元(右前脚の屈腱炎)も良くなり、もしかしたら現役時代より調子が良いかもしれませんよ。普段はパドックでポニー達3頭(ポニー2頭、ミニチュアホース1頭)と一緒に放牧していますが、悪さすることも無く一緒に遊んでいますよ。」
「ここなら、目の前が競馬場の厩舎で(馬の扱いに慣れた)厩務員や、獣医も居るから安心だしね。地元の競馬ファンに近い場所で余生を過ごせるのは幸せな事なんじゃないでしょうか。去年、BTCの功労馬に認定された時は、地元の保育園児達が沢山来てお披露目会をやったんだけど、その時の園児さん達が、今でも通りすがりに『テンビー元気にしてる!?』と会いに来てくれてありがたいですね。」と語る栗本さん。
この日も取材中に、近所の方がお孫さんを連れてポニーを見に来ていた。フジノテンビーについては知らなかったようだが、中央重賞を勝った事を知ると「そんな凄い馬だったんですか~」と感心していた。
栗本さんの本業は笠松競馬場の厩務員で、長年数々の馬に携わってきているだけに、中央競馬の重賞を勝つという“快挙”の重みも十分に理解している。そんな”快挙”を成し遂げた本馬だけに、功績が評価され、幸せな余生を送る事が出来るようになった事がとても嬉しいという。
また、栗本さんは笠松競馬の存続を願って色々なPR活動にも力を入れている。笠松競馬開催日に場内の愛馬会(笠松競馬関係者の奥様達が運営する会)売店で販売されている堆肥『ボロちゃん(1.5Kg入100円)』も栗本さんが中心になって作っている。
この『ボロちゃん』は馬の馬糞(ボロ)を元にした堆肥だが、以前は「産業廃棄物」扱いで、行政に処理費用を払って処分していた。それを愛馬会や栗本さんが、堆肥として再利用・販売出来るまでにした。エコロジーなだけでなく評判も良く、一般の家庭菜園だけでなく、本業の農家の方からも大きな評価を受けているそうだ。「梨、イチゴ、柿などの農家の方々からは『甘みが増して美味しくなる』と喜ばれています。競馬開催の初日には数十袋用意していますが、開催最終日までにはほとんど売り切れてしまいます。」と愛馬会の方もお勧めしている。
フジノテンビーを通じての地元住民との触れ合い、『ボロちゃん』を通じての地元農家との触れ合い、「競馬場と住民」の心地よい関係が更に深まる事を願いたい。
取材班
本馬は2000年5月、笠松の中山義宣厩舎からデビュー、地方重賞2勝を含む5連勝の戦績でデイリー杯3歳ステークス(G2)に挑戦、前年の同レースを同じ笠松のレジェンドハンターが制していることもあり1番人気に推され、期待に応え見事に勝利した。
2001年、笠松所属のまま挑んだ皐月賞トライアルのスプリングステークス(G2)では14着と大敗。中央競馬(美浦:畠山吉宏厩舎)に移籍して、NHKマイルカップ(G1)に挑んだが8着に敗れた。舞台をダートに戻したユニコーンステークス(G3)では2着に入り能力の片鱗を感じさせるも、その後は勝ち星を挙げることが出来ず、翌2002年、船橋の川島正行厩舎に移籍した。
船橋に移籍すると緒戦の千葉日報賞で1年半ぶりの勝利を挙げると、次走の報知オールスターカップを優勝、以後は南関東の重賞戦線で掲示板を賑わし、6歳となった2004年に古巣の笠松競馬場(後藤保厩舎)に戻って来た。笠松競馬での晩年は脚部不安との戦いで厳しいレースが続いたが、9歳となる2007年11月まで長く走り続けた。通算成績は71戦13勝(中央8戦1勝、地方63戦12勝)。
前年のデイリー杯3歳ステークス(G2)を制したレジェンドハンターとは、血統が似ている(本馬の母母ミスティローズは、レジェンドハンターの母サクラソフティーと1歳違いの全姉妹)だけでなく、1日違いで引退レースを行い、共にBTC「引退名馬等のけい養展示」の助成金制度を受けて余生を送る事となり、不思議な縁を感じさせた。
引退後のフジノテンビーは、現役時代に過ごした笠松競馬の厩舎群に隣接する「岐南乗馬クラブ」で余生を過ごしている。代表の栗本三郎さんに本馬の近況について伺った。
「引退後すぐに、こちらで面倒を見る事になりましたが、引退時期の関係で『BTCの功労馬助成制度』は2009年から受けています。こちらに来てから脚元(右前脚の屈腱炎)も良くなり、もしかしたら現役時代より調子が良いかもしれませんよ。普段はパドックでポニー達3頭(ポニー2頭、ミニチュアホース1頭)と一緒に放牧していますが、悪さすることも無く一緒に遊んでいますよ。」
「ここなら、目の前が競馬場の厩舎で(馬の扱いに慣れた)厩務員や、獣医も居るから安心だしね。地元の競馬ファンに近い場所で余生を過ごせるのは幸せな事なんじゃないでしょうか。去年、BTCの功労馬に認定された時は、地元の保育園児達が沢山来てお披露目会をやったんだけど、その時の園児さん達が、今でも通りすがりに『テンビー元気にしてる!?』と会いに来てくれてありがたいですね。」と語る栗本さん。
この日も取材中に、近所の方がお孫さんを連れてポニーを見に来ていた。フジノテンビーについては知らなかったようだが、中央重賞を勝った事を知ると「そんな凄い馬だったんですか~」と感心していた。
栗本さんの本業は笠松競馬場の厩務員で、長年数々の馬に携わってきているだけに、中央競馬の重賞を勝つという“快挙”の重みも十分に理解している。そんな”快挙”を成し遂げた本馬だけに、功績が評価され、幸せな余生を送る事が出来るようになった事がとても嬉しいという。
また、栗本さんは笠松競馬の存続を願って色々なPR活動にも力を入れている。笠松競馬開催日に場内の愛馬会(笠松競馬関係者の奥様達が運営する会)売店で販売されている堆肥『ボロちゃん(1.5Kg入100円)』も栗本さんが中心になって作っている。
この『ボロちゃん』は馬の馬糞(ボロ)を元にした堆肥だが、以前は「産業廃棄物」扱いで、行政に処理費用を払って処分していた。それを愛馬会や栗本さんが、堆肥として再利用・販売出来るまでにした。エコロジーなだけでなく評判も良く、一般の家庭菜園だけでなく、本業の農家の方からも大きな評価を受けているそうだ。「梨、イチゴ、柿などの農家の方々からは『甘みが増して美味しくなる』と喜ばれています。競馬開催の初日には数十袋用意していますが、開催最終日までにはほとんど売り切れてしまいます。」と愛馬会の方もお勧めしている。
フジノテンビーを通じての地元住民との触れ合い、『ボロちゃん』を通じての地元農家との触れ合い、「競馬場と住民」の心地よい関係が更に深まる事を願いたい。
取材班