馬産地コラム

ミツアキタービンを訪ねて~ミツアキ牧場

  • 2009年12月22日
  • ミツアキ牧場にて種牡馬入りしたミツアキタービン
    ミツアキ牧場にて種牡馬入りしたミツアキタービン
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 地方・笠松競馬に所属し、ダイオライト記念(G2)、オグリキャップ記念(G2)と2つの交流重賞を制したミツアキタービン(父ライブリマウント、母カネミタービン)を新ひだか町・ミツアキ牧場に訪ねた。

 本馬は2002年11月、今は廃止されてしまった上山競馬場にてデビュー、2戦目に初勝利を挙げると笠松競馬場へと転入。2003年1月1日、「明け3歳の1日目」に条件戦とはいえ、古馬を相手に圧勝し、注目を集めた。春シーズンは善戦するものの重賞に縁は無かったが、秋を迎えて大成長、ダービーグランプリ(G1)では3着と健闘、地元の岐阜金賞(SP1)で重賞初制覇を果たすと、JBCクラシック(G1)5着、JRA中京競馬場で行われた1000万条件の香嵐渓特別では、後の重賞馬アンドゥオール相手に完勝した。

 4歳シーズンとなる2004年、東海ゴールドカップ(SP1)で地方重賞2勝目を挙げると、平安ステークス(G3)6着を挟んで挑んだフェブラリーステークス(G1)ではアドマイヤドンの0.2秒差の4着に大健闘。このレースでは12番人気の単勝万馬券だった本馬だが、レースぶりが評判を呼び、次走のダイオライト記念(G2)では1番人気に推された。人気に応えて完勝したレースだったが、この時の2着が後の天皇賞馬・イングランディーレだっただけに価値の高い勝利となった。

 続くオグリキャップ記念(G2)では、強敵カネツフルーヴとのマッチレースを制し、地元での交流重賞制覇を果たしたが、このレースで繋靭帯炎を発症し2度の長期休養、以後は脚部不安と戦いながらのレースが続いた。9歳となった2009年8月、地元のくろゆり賞(SP1)を好タイムで制し、古豪健在を思わせたが、このレースで蹄骨を骨折し、引退が決まった。笠松の競馬関係者には「全盛期の故障さえなければ、オグリキャップ以上の活躍をしていたに違いない。」と惜しむ声も多い。

 11月23日、笠松競馬場で引退式を終えた本馬は、12月15日にオーナーである山本光明氏の所有するミツアキ牧場へとやって来た。来年からはプライベート種牡馬として、オーナーの所有する繁殖牝馬を中心に種牡馬生活を送る予定だ。骨折が完治していないので、脚元の様子を見ながら現在は療養中だ。

 本馬が活躍した時、父ライブリマウントは既に種牡馬を引退し、新冠町の「にいかっぷホロシリ乗馬クラブ」で乗馬となっていた。繁殖牝馬の配合相手として、ライブリマウントの問い合わせをしてくる生産者が何人も居たそうだ。

 故障に泣かされた現役生活だったが、オーナーの熱意で決まった種牡馬入り。祖父のライブリマウントはドバイワールドカップ(G1)にも参戦している。本馬にもドバイからゴドルフィンマイル(G2)の招待状が届いていたが参戦は叶わなかった。祖父や父の夢を継ぐ産駒の登場に期待したい。
取材班