馬産地コラム

デュークグランプリを訪ねて~静内フジカワ牧場

  • 2009年10月28日
  • デュークグランプリ
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 新ひだか町の静内フジカワ牧場へデュークグランプリを訪ねた。現役時代はブリーダーズゴールドカップ(G2)や武蔵野ステークス(G3)などを制し、ダート中長距離路線で実績を残した。引退後は静内スタリオンステーションで種牡馬生活を送り、現在は生まれ故郷の静内フジカワ牧場で静かに余生を送っている。

 同牧場の藤川靖仁さんにお話を伺うと、「カイ食いも良く、脚元も心配ありません。馬体重は500Kg台半ばぐらいかな。至って健康です。」と、近況を語ってくれた。馬房とつながっている専用の放牧地で早朝から夜飼いの時間まで悠々自適に過ごしている。

 現在も熱心なファンの方がデュークグランプリに会いに来るそうで、藤川さんは、「関東、関西方面の方を中心に今でも見学に来ています。わざわざニンジンを買ってきてくれる方もいますよ。デュークグランプリを通じてうちの牧場の他の生産馬のことも応援してくれて、応援幕を作ってくれた方もいてね。本当に嬉しい限りです。」と、笑顔で話す。小西一男調教師も牧場を訪れた際にかつての管理馬に会っていくそうだ。

 デュークグランプリの父スズカコバンは道営記念を制したササノコバンやクラキングオーなどダートの活躍馬を多数輩出したが、中でも最も賞金を稼ぎ出した馬がデュークグランプリだった。藤川さんは、「3代母のスワンズウッドグローヴの血統からはサクラチヨノオー(父マルゼンスキー)やサクラトウコウ(父マルゼンスキー)が出ていましたから、マルゼンスキーと合うということはわかっていました。ただ、当時マルゼンスキーの種付け料が非常に高くて、その産駒のスズカコバンを付けて産まれたのがデュークグランプリです。当時から大きくて皮膚の薄い、良い馬でした。」と、懐かしげに話してくれた。

 かつてオープンクラスでダートを得意とする馬は活躍の場が少なかったが、デュークグランプリが競走生活を送っていた頃、各地でダートの交流重賞がスタートした。藤川さんは、「ちょうど地方交流重賞が始まり、ダート重賞が増えた頃だったので運が良かったですね。競馬場まで応援に行って、重賞レースの口取りに入ることもできました。種牡馬としてはなかなか結果を出せませんでしたが、今も元気に余生を送ることができて嬉しいです。牧場を支えてくれた馬で、本当に感謝しています。」と、感慨深い様子で語ってくれた。

 放牧地で草を食んでいる姿を見ると食欲は旺盛のようで、黒光りした立派な馬体が目を引く。ふるさとの恵みをたっぷりと受けて長生きして欲しい。
取材班