クラキングオーを訪ねて~倉見牧場
10月22日、門別競馬場で2歳牝馬の重賞、第12回エーデルワイス賞(Jpn3)が行われる。そのレースに、世代ただ1頭の産駒・クラキンコ(2歳牝、母クラシャトル)を送り出すクラキングオーを日高町・倉見牧場に訪ねた。
クラキングオーは通算35戦12勝、ホッカイドウ競馬で2歳春から6歳春まで活躍。北海優駿、王冠賞、ステイヤーズカップ2勝、道営記念と重賞5勝を挙げている。3歳時にはJRA函館競馬場にも参戦し、中央馬を相手に勝利(1着同着)をおさめている。ホッカイドウ競馬を代表する名馬の1頭だ。
2003年5月28日、札幌競馬場で行われたサクラローレル賞(OP)、2番人気に推された本馬だったが、レース中に故障を発生し競走中止となった。競馬場の獣医師による診断は「右前脚の靭帯全断裂(球節複雑骨折)」だった。「あの時、獣医さんからは競馬場での予後不良の決断を迫られました。苦しい思いをさせるくらいなら…とも思いましたが、“まずはトレセンに連れて帰ろう。(決断はそれからでも…)”と何とか門別まで運びました。」と当時を語るのは倉見牧場の現代表・倉見利弘さんだ。
「調教師や獣医師と相談して、『やれるだけの事はやってみよう。』と治療を試みました。テーピングで脚元をガチガチに固めてトレセンに1か月滞在し、その後、牧場に帰って来ました。通常、このような治療を受ける馬は蹄葉炎を発症してしまうのですが、この馬は頭が良くて、自分から脚元に負担が掛からないように静養していました。」と当時の闘病生活を語ってくれた。
牧場に戻ってからは功労馬として過ごしていた本馬だったが、2005年、「1頭でもいいから産駒を取ってみたい。」という倉見さんの情熱から試験種付を行った。「右足が短くなってしまったので、牝馬に乗っかるのに苦労したようですが、何とかなりそうだと感じました。」
2006年、“種牡馬”となった本馬が配合相手に選んだ相手はクラシャトル(父ワカオライデン)、1994年の北海優駿など重賞5勝を挙げた名牝だ。(伝説となった1995年エンプレス杯では、笠松時代の安藤勝己騎手を背にホクトベガとも対戦している。)決して多くは無い繁殖牝馬数、しかもその半分が本馬の近親という面々では配合相手は限られてしまう。
「幸い、うちは小さいながらも細々とオーナーブリーダーをやっていますからね。『どうせ夢を追うなら(うちで)一番の馬を用意してやろう!』とクラシャトルを選びました。」牧場の看板牝馬ともいえるクラシャトルだが、この母クラネバダンサーも複雑骨折で繁殖牝馬になるのに2年掛かったというから執念の配合だ。
2007年4月11日、“父母に北海優駿馬を持つ、道営10冠ベイビー”が誕生した。栗毛の牝馬は、2009年クラキンコと名付けられデビュー、現在2勝を挙げて活躍中だ。ホッカイドウ競馬ひだか応援隊が行っている「サポーターズクラブ」でも人気が高く、多くのファンから応援されているそうだ。
クラキングオーの近況について伺うと「見た目には痛々しいですが、日常生活には問題ありません。若いころは、自分の脚元も考えないで走り回って、後から痛くなったりしていましたが、最近は無茶しなくなりました。」ガチガチに固まってしまい、スナップの利かなくなった右脚のケアには気を遣っているそうで、装蹄師のアドバイスを受けながら、こまめに削蹄を行っているそうだ。
本馬の産駒に1歳はいないものの、当歳には黒鹿毛の牡馬(母クラダッチューノ)がいる。今年は2頭に種付けを行い、1頭が受胎、その相手はクラシャトルだ。このまま無事にいけば来春にはクラキンコの全弟か全妹が誕生する事になる。
現在、倉見さんにとっての楽しみは門別競馬場に生産馬の応援に行く事だ。「旭川や札幌ではなかなか応援に行けませんでしたが、近く(門別)でナイター競馬をやるようになって応援に行けるようになりました。」と嬉しそうに語る。
幾つもの奇跡を起こして生命を繋いだクラキングオーとクラキンコ、10月22日、もう一つの奇跡を起こして欲しいものだ。ホッカイドウ競馬の馬は、冬場は他地区に移籍して走る事が多い。クラキンコの冬シーズンの行き先について尋ねると、「まだ考えていませんが、来年は北海優駿に出たいですね。」と笑いながら語る倉見さん。何とも壮大な夢だが、応援せずにはいられない。
取材班
クラキングオーは通算35戦12勝、ホッカイドウ競馬で2歳春から6歳春まで活躍。北海優駿、王冠賞、ステイヤーズカップ2勝、道営記念と重賞5勝を挙げている。3歳時にはJRA函館競馬場にも参戦し、中央馬を相手に勝利(1着同着)をおさめている。ホッカイドウ競馬を代表する名馬の1頭だ。
2003年5月28日、札幌競馬場で行われたサクラローレル賞(OP)、2番人気に推された本馬だったが、レース中に故障を発生し競走中止となった。競馬場の獣医師による診断は「右前脚の靭帯全断裂(球節複雑骨折)」だった。「あの時、獣医さんからは競馬場での予後不良の決断を迫られました。苦しい思いをさせるくらいなら…とも思いましたが、“まずはトレセンに連れて帰ろう。(決断はそれからでも…)”と何とか門別まで運びました。」と当時を語るのは倉見牧場の現代表・倉見利弘さんだ。
「調教師や獣医師と相談して、『やれるだけの事はやってみよう。』と治療を試みました。テーピングで脚元をガチガチに固めてトレセンに1か月滞在し、その後、牧場に帰って来ました。通常、このような治療を受ける馬は蹄葉炎を発症してしまうのですが、この馬は頭が良くて、自分から脚元に負担が掛からないように静養していました。」と当時の闘病生活を語ってくれた。
牧場に戻ってからは功労馬として過ごしていた本馬だったが、2005年、「1頭でもいいから産駒を取ってみたい。」という倉見さんの情熱から試験種付を行った。「右足が短くなってしまったので、牝馬に乗っかるのに苦労したようですが、何とかなりそうだと感じました。」
2006年、“種牡馬”となった本馬が配合相手に選んだ相手はクラシャトル(父ワカオライデン)、1994年の北海優駿など重賞5勝を挙げた名牝だ。(伝説となった1995年エンプレス杯では、笠松時代の安藤勝己騎手を背にホクトベガとも対戦している。)決して多くは無い繁殖牝馬数、しかもその半分が本馬の近親という面々では配合相手は限られてしまう。
「幸い、うちは小さいながらも細々とオーナーブリーダーをやっていますからね。『どうせ夢を追うなら(うちで)一番の馬を用意してやろう!』とクラシャトルを選びました。」牧場の看板牝馬ともいえるクラシャトルだが、この母クラネバダンサーも複雑骨折で繁殖牝馬になるのに2年掛かったというから執念の配合だ。
2007年4月11日、“父母に北海優駿馬を持つ、道営10冠ベイビー”が誕生した。栗毛の牝馬は、2009年クラキンコと名付けられデビュー、現在2勝を挙げて活躍中だ。ホッカイドウ競馬ひだか応援隊が行っている「サポーターズクラブ」でも人気が高く、多くのファンから応援されているそうだ。
クラキングオーの近況について伺うと「見た目には痛々しいですが、日常生活には問題ありません。若いころは、自分の脚元も考えないで走り回って、後から痛くなったりしていましたが、最近は無茶しなくなりました。」ガチガチに固まってしまい、スナップの利かなくなった右脚のケアには気を遣っているそうで、装蹄師のアドバイスを受けながら、こまめに削蹄を行っているそうだ。
本馬の産駒に1歳はいないものの、当歳には黒鹿毛の牡馬(母クラダッチューノ)がいる。今年は2頭に種付けを行い、1頭が受胎、その相手はクラシャトルだ。このまま無事にいけば来春にはクラキンコの全弟か全妹が誕生する事になる。
現在、倉見さんにとっての楽しみは門別競馬場に生産馬の応援に行く事だ。「旭川や札幌ではなかなか応援に行けませんでしたが、近く(門別)でナイター競馬をやるようになって応援に行けるようになりました。」と嬉しそうに語る。
幾つもの奇跡を起こして生命を繋いだクラキングオーとクラキンコ、10月22日、もう一つの奇跡を起こして欲しいものだ。ホッカイドウ競馬の馬は、冬場は他地区に移籍して走る事が多い。クラキンコの冬シーズンの行き先について尋ねると、「まだ考えていませんが、来年は北海優駿に出たいですね。」と笑いながら語る倉見さん。何とも壮大な夢だが、応援せずにはいられない。
取材班