馬産地コラム

アドマイヤボスを訪ねて~門別 HBA門別種馬場

  • 2009年04月14日
  • アドマイヤボス~日高軽種馬農協門別種馬場
    アドマイヤボス~日高軽種馬農協門別種馬場
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 忘れられない光景がある。
 2002年2月26日、場所は、日高軽種馬農協門別種馬場。快晴、好天に恵まれたこの日、同種馬場の種牡馬展示会では、現役を引退したばかりのアドマイヤボスが生産者らに初めてお披露目された。チャンピオンサイアーのサンデーサイレンスを父に、母は2冠牝馬ベガ。全兄にはダービー馬のアドマイヤベガがいて、半弟のアドマイヤドンも前年の2歳チャンピオン。本馬もまた、2戦1勝のキャリアでセントライト記念を快勝した能力は、その血統に恥じないものだった。ややイレ込む仕草を見せながら周回を重ねるアドマイヤボスに注がれる熱い視線は、同馬に寄せる期待の大きさを示すものだった。
 ふと、横を見るとデジタルカメラを手にしたノーザンファームの女性スタッフが、あたりをはばかることなく大粒の涙を流していた。「あの仔が。こんなに立派になって戻ってきてくれた」と声を詰まらせている。
 
 良血馬ゆえの悩みすべてをうかがい知ることはできない。それでも、あの涙は雄弁だった。アドマイヤボスは多くの人の努力によって競走馬への道が拓かれた。体質の弱さと、慢性的な脚部不安によって念願のG1獲りはかなわなかったが、それでもG2レースのタイトルを手に馬産地に帰ってきた。その間、生産者として育成者としてノーザンファームが思い悩んだ日々のすべてを知ることはできないけれど、あの涙は雄弁だった。
 
 あれから7回目の春がやってきた。初年度に136頭もの繁殖牝馬に配合したが、多くの種牡馬がそうであるように2年目以降は徐々に種付頭数を減らしたものの標準を大きく超える配合数を記録。種牡馬がもっとも苦戦すると言われる4年目シーズンは全兄アドマイヤベガの急逝もあって、過去最高の157頭の繁殖牝馬が同馬の血を求めた。今回、毎日杯を勝ったアイアンルックは、その中の1頭だ。
 
 「アイアンルックの全兄にアドマイヤランという馬がいました。故障して大成できなかったけど、素質を感じさせた馬でしたよ」と山口幸敏場長。その母ルカダンスには、その後2年連続してアドマイヤベガが配合されていたが、アドマイヤベガの死亡後、再び配合相手にはアドマイヤボスが選ばれた。「配合があっているのかもしれないね。今年も種付に来てくれましたよ」と笑顔を見せる。
 「アイアンルックに続くような馬が1頭でも2頭でも出てきてくれて、少しでも忙しいシーズンにしたいね。数はこなせる馬だし、数をつければ走る仔を出せる種牡馬だから」と期待する。 
 「基本的には、人に触られるはあまり好きじゃないみたいだけど、治療とか装蹄とかのときは我慢強いね」という言葉に幼少期のアドマイヤボスの苦労が垣間みえる。

 アイアンルックは、兄がくれた最後のチャンス。それを活かしつつ、兄を超えること。それこそが、アドマイヤボスを育ててくれた人やチャンスをくれたアドマイヤベガに対する最大の恩返しなのだ。

                 日高案内所取材班