レガシークレストを訪ねて~高知県・土佐黒潮牧場
1998年の阪神障害ステークス(秋)を勝ったレガシークレスト(セン16歳、父プルラリズム 母ハマノサイクロン)を高知県須崎市の土佐黒潮牧場に訪ねた。
本馬は1997年3月にデビュー、1番人気の新馬戦を2着とし、すぐに勝ち上がれるとも思ったが、その後成績が伸び悩み、8戦目からは戦いの舞台を障害レースに求める。障害4戦目に2着に入ると、3着→2着→4着→2着→2着と惜敗が続いたが、障害10戦目で念願の初勝利を挙げる。その後、障害のオープンレースを勝つと、連勝で阪神障害ステークス(秋)を勝ち、重賞初制覇を果たした。(障害レースは1999年よりグレード制が導入された為、本馬は春と秋に行われていた「阪神障害ステークス」の最後の勝ち馬となる。)通算成績23戦4勝。
2001年、競走馬を引退した本馬を土佐黒潮牧場の会員さんが引き取ることを考えていたが、この時はすでに乗馬としての行き先が決まっていたそうだ。「縁が無かった」と諦めていたところ、2004年に、乗馬クラブから一本の電話があった。その内容は「蹄を悪くして、乗馬として走れなくなったレガシークレストを引き取ってくれないか。」というものだった。「切れていなかった馬との縁」を感じた濱脇さん達、1週間後には受け入れを決断し乗馬クラブに連絡を入れたそうだ。
2005年7月16日、晴れて土佐黒潮牧場へとやって来た本馬、BTC「引退名馬等のけい養展示」の助成対象馬として7頭目の仲間入りだった。
「蹄の状態はまだまだ悪いので、両前脚に保護用のクツを履かせていますが、体調は良好ですよ。この馬は神経質で、ビビリな部分がありますね。馬房の屋根にスズメが巣を作ったのですが、スズメがチュンチュン鳴くのも気にしています。ただ、大人しく顔も可愛らしいので会員さんには人気が高いですね。」と濱脇さん。
蹄が悪いとはいえ、適度な運動も必要という事で曳き運動は欠かせない。馬に合わせたゆっくりゆっくりとしたスピードだが、牧場のスタッフにとっては根気のいる作業だろう。土佐黒潮牧場を創業したのは代表の濱脇敬弘さんだが、仕事を手伝っている奥様の郁子さんや、娘の由起子さんはどう思っているのだろうか。不躾ながら、敬弘さんが牧場を始めると言った時、どう思ったかを聞いてみた。
「昔から馬の牧場がやりたいやりたいとは聞いていましたが、まさか本当に始めるとは思いませんでした。私たち母娘は馬を触ったことも無いので不安もありましたが、こうして馬と接していると…今では、馬の魅力に取り憑かれてしまいました。」と語る郁子さんの言葉に、由起子さんも頷いていた。
普段は、車で5分程離れた場所にあるご自宅から通っているそうだが、敬弘さんの場合は、帰宅が12時を回ることもあるという。馬が怪我や病気をした時は泊まりこむ日もあるそうだ。「夜になると周りは真っ暗闇で、無人島に私と馬だけが居るような気になりますね。」そんな特別な空間でブルブルッと嘶く馬の鳴き声を聞くのは堪らない喜びだと言う。
「何よりも馬の為に。」というのが土佐黒潮牧場のモットーだという敬弘さん。牧場の一角には『愛馬たち安らかに 永遠に黒潮の地に眠る 土佐黒潮牧場』と書かれた慰霊碑が置かれている。現在、この中にはこの地で命を終えた5頭(ブルーシーズ、ヤングブッシュ、インターライナー、チタニックオー、レジェンドハンター)の魂が眠る。「うちの牧場は死亡率100%です。」と語る敬弘さんだが、この言葉の意味は重く、そして尊い…。
取材班
本馬は1997年3月にデビュー、1番人気の新馬戦を2着とし、すぐに勝ち上がれるとも思ったが、その後成績が伸び悩み、8戦目からは戦いの舞台を障害レースに求める。障害4戦目に2着に入ると、3着→2着→4着→2着→2着と惜敗が続いたが、障害10戦目で念願の初勝利を挙げる。その後、障害のオープンレースを勝つと、連勝で阪神障害ステークス(秋)を勝ち、重賞初制覇を果たした。(障害レースは1999年よりグレード制が導入された為、本馬は春と秋に行われていた「阪神障害ステークス」の最後の勝ち馬となる。)通算成績23戦4勝。
2001年、競走馬を引退した本馬を土佐黒潮牧場の会員さんが引き取ることを考えていたが、この時はすでに乗馬としての行き先が決まっていたそうだ。「縁が無かった」と諦めていたところ、2004年に、乗馬クラブから一本の電話があった。その内容は「蹄を悪くして、乗馬として走れなくなったレガシークレストを引き取ってくれないか。」というものだった。「切れていなかった馬との縁」を感じた濱脇さん達、1週間後には受け入れを決断し乗馬クラブに連絡を入れたそうだ。
2005年7月16日、晴れて土佐黒潮牧場へとやって来た本馬、BTC「引退名馬等のけい養展示」の助成対象馬として7頭目の仲間入りだった。
「蹄の状態はまだまだ悪いので、両前脚に保護用のクツを履かせていますが、体調は良好ですよ。この馬は神経質で、ビビリな部分がありますね。馬房の屋根にスズメが巣を作ったのですが、スズメがチュンチュン鳴くのも気にしています。ただ、大人しく顔も可愛らしいので会員さんには人気が高いですね。」と濱脇さん。
蹄が悪いとはいえ、適度な運動も必要という事で曳き運動は欠かせない。馬に合わせたゆっくりゆっくりとしたスピードだが、牧場のスタッフにとっては根気のいる作業だろう。土佐黒潮牧場を創業したのは代表の濱脇敬弘さんだが、仕事を手伝っている奥様の郁子さんや、娘の由起子さんはどう思っているのだろうか。不躾ながら、敬弘さんが牧場を始めると言った時、どう思ったかを聞いてみた。
「昔から馬の牧場がやりたいやりたいとは聞いていましたが、まさか本当に始めるとは思いませんでした。私たち母娘は馬を触ったことも無いので不安もありましたが、こうして馬と接していると…今では、馬の魅力に取り憑かれてしまいました。」と語る郁子さんの言葉に、由起子さんも頷いていた。
普段は、車で5分程離れた場所にあるご自宅から通っているそうだが、敬弘さんの場合は、帰宅が12時を回ることもあるという。馬が怪我や病気をした時は泊まりこむ日もあるそうだ。「夜になると周りは真っ暗闇で、無人島に私と馬だけが居るような気になりますね。」そんな特別な空間でブルブルッと嘶く馬の鳴き声を聞くのは堪らない喜びだと言う。
「何よりも馬の為に。」というのが土佐黒潮牧場のモットーだという敬弘さん。牧場の一角には『愛馬たち安らかに 永遠に黒潮の地に眠る 土佐黒潮牧場』と書かれた慰霊碑が置かれている。現在、この中にはこの地で命を終えた5頭(ブルーシーズ、ヤングブッシュ、インターライナー、チタニックオー、レジェンドハンター)の魂が眠る。「うちの牧場は死亡率100%です。」と語る敬弘さんだが、この言葉の意味は重く、そして尊い…。
取材班