馬産地コラム

あの馬は今Vol.66~ライブリマウント

  • 2010年03月24日
  • にいかっぷホロシリ乗馬クラブにて乗用馬として活躍中のライブリマウント
    にいかっぷホロシリ乗馬クラブにて乗用馬として活躍中のライブリマウント
  • 誰でも乗れる、大人しい馬だそうだ
    誰でも乗れる、大人しい馬だそうだ
  • 馬場からは海が見渡すことが出来る
    馬場からは海が見渡すことが出来る
1995年2月18日 フェブラリーS(G1)
優勝馬:ライブリマウント

2009年も押し迫ろうとしていた11月23日、岐阜県の笠松競馬場で1頭の芦毛馬の引退式が行なわれた。その馬の名はミツアキタービンという。慢性的な脚部不安に悩まされながらも通算46戦13勝。4歳時にはフェブラリーS(G1)に挑戦して早め先頭からゴール前まで粘って見せ場をつくり(4着)、ダイオライト記念(G2)ではイングランディーレを、オグリキャップ記念(G2)ではカネツフルーヴを破って優勝している。

ミツアキタービンの存在を初めて知ったのは盛岡競馬場のダービーグランプリ(G1)だったか、大井競馬場のJBCクラシック(G1)だったか記憶は定かでないが、その強さを認識した時のことは覚えている。3歳秋の京都競馬場、香嵐渓特別。このレースでミツアキタービンは良血アンドゥオール(のちの重賞2勝馬)を子ども扱いした。そして、馬の父がライブリマウントと知って嬉しくなった。

ライブリマウントは父グリーンマウント、母シナノカチドキという血統。父のグリーンマウントは名種牡馬グリーンダンサーの半弟だが競走成績に見るものはなく、母系もJRAの中堅馬や公営競馬の活躍馬はいる程度で、いわゆる良血馬ではなかった。

それでも、ライブリマウントはミステリアスな強さを持った馬だった。3歳暮れの花園S優勝でオープン入りすると、この勝利をきっかけに94年11月から翌年の10月までの1年間で、重賞6連勝(交流競走含む)を含む7連勝を記録する。しかし、連勝をスタートさせてからちょうど1年が過ぎると、まるで魔法が解けたかのように失速。東京大賞典では負けるはずのない相手の後塵を拝し、川崎記念では新・砂の女王ホクトベガの交流戦デビューの引き立て役になってしまった。それでも、第1回ドバイワールドCに遠征。当時13連勝中の魔王シガーを相手に先行して意地を見せたが、それがライブリマウントが強さを見せた最後の1戦となってしまった。

そして、6歳夏の帝王賞(G1)11着を最後に引退。翌年から種牡馬になった。6年間の種牡馬生活は決して恵まれたものではなかったが、ミツアキタービンやホクザンフィールド(兵庫大章典、兵庫ジュニアGP(G3)2着)ミドリノオトメ(高知優駿)らの活躍馬を出したのもまた、不思議な能力を持ったライブリマウントらしいものだった。

そして現在、ライブリマウントは新冠町のにいかっぷホロシリ乗馬クラブでアブクマポーロやダイワテキサスらとともに乗用馬として活躍中だ。取材当日はまだ寒さ残る日で冬毛もたっぷりと残っていたが「今年は体調も良さそうです」とインストラクターの八木さんが説明してくれた。かつては障害でも活躍していたそうだが、現在は物怖じしない性格と持ち前のパワーで、海や山のトレッキングコースでも活躍。クラブには欠かせない存在になっている。取材日も撮影が終わると、クラブ会員の方を背に覆馬場でレッスンに励む予定だという。そして、この馬のセールスポイントは「多少のことではまったく動じない。誰でも乗れる、大人しい馬」ということ。かなりのマイペースらしく、洗い場につないでいると、そのままコックリ、コックリと舟をこぐことも珍しくないという。

幸い、ライブリマウントの血はその仔ミツアキタービンによって受け継がれていくことが決まった。オーナーブリーディング用の種牡馬ということで、何頭かの繁殖牝馬には恵まれるだろう。

それは、現在のサラブレッド事情を考えると奇跡といってもよいかもしれない。しかし願わくばもう一度だけ、ミツアキタービンによって、ライブリマウントの名を思い出させてくれるような産駒の誕生に期待したい。
取材班