馬産地コラム

あの馬は今Vol.37~高松宮記念ショウナンカンプ

  • 2008年07月04日
  • 今のショウナンカンプ~静内・レックススタッド
    今のショウナンカンプ~静内・レックススタッド
  • 同

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 2002年3月24日
 高松宮記念 優勝馬 ショウナンカンプ

 「夢かい?それは自分の生産馬が活躍して、種牡馬になることかな。だって、そうすれば俺が死んでも、サラブレッドの歴史の中には、その馬の血が残る。自分という人間が生きた証になる」といったのは、初老というには、その域をとっくにすぎたある生産者だった。彼の生産馬は言葉どおりに活躍して種牡馬となった。
 
 競馬が、他の公営競技と一線を画しているのは“血統”の存在だ。競馬を沸かせた馬たちの子供がターフに帰ってくる。他の競技では特別なことでも、競馬の世界では当たり前のこと。それでも、サクラユタカオー~サクラバクシンオー~ショウナンカンプと父仔3世代にわたるG1制覇は、ニッポン競馬史上に燦然と輝く金字塔として長く語り継がれる偉業だ。
 「あまり実感が沸きませんね。1年前はまだ未出走馬でしたし、生産馬がG1レースに出走すること自体が夢のようだと思っていましたから」と生産者の大柳大慶氏が振り返ったように、3歳6月にデビューしたショウナンカンプは生産者の感傷を追い越すようなスピードで走り抜けた。
 デビュー当初は脚部不安を抱えていたためにダート競馬ばかりを使われて10戦3勝。恥じる成績ではないが、特別なものでもない。初の芝コースは高松宮記念の約1ヶ月前の準オープン特別。ここを圧勝すると続いて出走したオーシャンSも2着馬のコンマ4秒の差をつけて快勝した。そして挑戦したG1レースの晴れ舞台。ショウナンカンプのスピードの前には前年のJRA賞最優秀スプリンターで短距離G1レース3連覇を目指したトロットスターも、98年の最優秀2歳牡馬アドマイヤコジーンも、同年の最優秀2歳牝馬のスティンガーも付いてくることができなかった。素早く先頭を奪うと、そのまま一度も先頭を譲ることなく直線では後続を突き放した。2着馬につけたコンマ6秒の差は、高松宮記念の歴史の中で最大着差でもあった。
 その後、59キロを背負ったスワンSでもコンマ5秒差、翌年の阪急杯ではサニングデールを相手にコンマ4秒の差をつけて圧勝した同馬は、通算19戦8勝の成績で引退。2004年から新ひだか町のレックススタッドで種牡馬となった。
 
 今は、5度目のシーズンを終えて休息のとき。「種牡馬だから激しいところもあるけど、のんびりした馬ですよ」とスタッフが言うように穏やかな表情で放牧地を歩き回って取材者を迎えてくれた。現役時代よりもひとまわりは大きくなった印象だが、無駄肉はなく若々しさにあふれた馬体をアピールしている。。
 初年度産駒の1頭アイリスモレによって06年度のファーストシーズンサイアー勝ち上がり第1号となったように父から、祖父から受け継いだスピード能力を産駒に伝えている。
日高の救世主といわれたテスコボーイ系の末裔として、そして父サクラバクシンオー、祖父サクラユタカオーから続く父仔G1制覇の夢の継承者として同馬に寄せられる期待は小さくない。

                 日高案内所取材班