あの馬は今Vol.34~シンコウウインディ
(半年間休ませて頂いた「あの馬は今~」シリーズを再開いたします)
1997年2月16日 フェブラリーS
優勝馬 シンコウウインディ
1997年2月16日はニッポン競馬にとって特別な日だ。この日、東京競馬場では国内初となる「ダートG1競走」が施行され、その記念すべき勝馬第1号として名を刻んだのがシンコウウインディだった。
長く降り続いた雨もレース時刻にはあがり、陽さえ射し込むまでに回復。しかし、たっぷりと雨を含んだダートコースは水が浮き上がるほどの最悪のコンディションのままだった。それでも、G1タイトルを狙いダート重賞の常連や活路を求めてダートに矛先を変えてきた馬、あるいは地方競馬からも3頭が参戦して多士済々のメンバー16頭がフルゲートの枠を埋め尽くした。
ゲートからダッシュよく飛び出したのは1番人気のストーンステッパーだったが、ダートコースに入るとバトルラインがハナにたつ。ケンタッキーダービー馬サンダーガルチの半兄バトルラインのペースでレースは進み、前哨戦のガーネットSを快勝したストーンステッパーと前年の2着馬アイオーユーがこれを追いかける展開。3番人気で、前走の平安Sではシンコウウインディと同着を分け合ったトーヨーシアトルは脚抜きのよい馬場に戸惑いを見せているのか後方からのレースとなった。シンコウウインディは泥を被らないように外目の中団からレースを進める。
直線、早めに先頭にたったストーンステッパーが逃げ込みを図るところ、いつの間にかインコースに潜り込んだシンコウウインディがジリジリと差を詰めて、クビ差交わしたところがゴールだった。レース中、他馬を噛み付きにいくほどの闘争心を持つシンコウウインディの気持ちをレースに集中させた岡部幸雄騎手の見えないファインプレーでもあった。
その後、シンコウウインディは脚部不安などを発症し思うような成績を残せぬまま、17戦5勝2着3回3着1回(重賞3勝)の成績を残して、00年からオーナーの経営するシンコウファームで種牡馬となった。3年間の供用生活で21頭の産駒を残し、現在でも岩手公営や兵庫公営に直仔の姿を見ることはできるが、その血が継承される可能性は低い。
しかし、シンコウウインディ15歳。まだまだ元気一杯だ。美しい栗毛の体は太陽の光を浴びて美しく輝き、放牧地を軽やかに走りまわっている。
現在は日高町のダーレージャパンスタリオンコンプレックスに繋養され、功労馬として幸せな余生を送っている。「優秀な試情馬として、スタリオンにはなくてはならない存在になっています。噛み付くこともないです(笑い)」と富菜新一スタリオンマネージャー。「種付をしないというだけで繋養種牡馬と同じ扱いです。いや、放牧時間だけだったら現役の種牡馬よりも長いくらいですよ」とスタッフも笑顔をみせる。
道なき道を切り開き、歴史の生き証人となった馬はいま、新しい歴史を創りあげる重要な役割を担う存在として新しい仕事に取り組んでいる。将来、年度代表馬アドマイヤムーンや欧州賞金王ファンタスティックライトなどから優れた競走馬が輩出されたとき、その陰には日本最初のダートG1ホースの存在があることを思い出してほしい。
日高案内所取材班
1997年2月16日 フェブラリーS
優勝馬 シンコウウインディ
1997年2月16日はニッポン競馬にとって特別な日だ。この日、東京競馬場では国内初となる「ダートG1競走」が施行され、その記念すべき勝馬第1号として名を刻んだのがシンコウウインディだった。
長く降り続いた雨もレース時刻にはあがり、陽さえ射し込むまでに回復。しかし、たっぷりと雨を含んだダートコースは水が浮き上がるほどの最悪のコンディションのままだった。それでも、G1タイトルを狙いダート重賞の常連や活路を求めてダートに矛先を変えてきた馬、あるいは地方競馬からも3頭が参戦して多士済々のメンバー16頭がフルゲートの枠を埋め尽くした。
ゲートからダッシュよく飛び出したのは1番人気のストーンステッパーだったが、ダートコースに入るとバトルラインがハナにたつ。ケンタッキーダービー馬サンダーガルチの半兄バトルラインのペースでレースは進み、前哨戦のガーネットSを快勝したストーンステッパーと前年の2着馬アイオーユーがこれを追いかける展開。3番人気で、前走の平安Sではシンコウウインディと同着を分け合ったトーヨーシアトルは脚抜きのよい馬場に戸惑いを見せているのか後方からのレースとなった。シンコウウインディは泥を被らないように外目の中団からレースを進める。
直線、早めに先頭にたったストーンステッパーが逃げ込みを図るところ、いつの間にかインコースに潜り込んだシンコウウインディがジリジリと差を詰めて、クビ差交わしたところがゴールだった。レース中、他馬を噛み付きにいくほどの闘争心を持つシンコウウインディの気持ちをレースに集中させた岡部幸雄騎手の見えないファインプレーでもあった。
その後、シンコウウインディは脚部不安などを発症し思うような成績を残せぬまま、17戦5勝2着3回3着1回(重賞3勝)の成績を残して、00年からオーナーの経営するシンコウファームで種牡馬となった。3年間の供用生活で21頭の産駒を残し、現在でも岩手公営や兵庫公営に直仔の姿を見ることはできるが、その血が継承される可能性は低い。
しかし、シンコウウインディ15歳。まだまだ元気一杯だ。美しい栗毛の体は太陽の光を浴びて美しく輝き、放牧地を軽やかに走りまわっている。
現在は日高町のダーレージャパンスタリオンコンプレックスに繋養され、功労馬として幸せな余生を送っている。「優秀な試情馬として、スタリオンにはなくてはならない存在になっています。噛み付くこともないです(笑い)」と富菜新一スタリオンマネージャー。「種付をしないというだけで繋養種牡馬と同じ扱いです。いや、放牧時間だけだったら現役の種牡馬よりも長いくらいですよ」とスタッフも笑顔をみせる。
道なき道を切り開き、歴史の生き証人となった馬はいま、新しい歴史を創りあげる重要な役割を担う存在として新しい仕事に取り組んでいる。将来、年度代表馬アドマイヤムーンや欧州賞金王ファンタスティックライトなどから優れた競走馬が輩出されたとき、その陰には日本最初のダートG1ホースの存在があることを思い出してほしい。
日高案内所取材班