馬産地コラム

あの馬は今Vol.60~ニッポーテイオー

  • 2009年11月30日
  • 優駿ビレッジ「AERU」にて余生を過ごしているニッポーテイオー
    優駿ビレッジ「AERU」にて余生を過ごしているニッポーテイオー
  • 同

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  1987年11月22日 マイルチャンピオンシップ
  優勝馬:ニッポーテイオー

 絶対に負けられない戦い、というのがある。前走の天皇賞(秋)(G1)で念願のG1初制覇を飾ったニッポーテイオーにとって、第4回マイルチャンピオンシップはまさに背水の陣。負ければ、それまで積み上げてきたものすべてを失うレースでもあった。

 ここまで17戦6勝2着6回3着2回。日本を代表する名門ファミリーの出身で、父は海外へと買い戻されたリイフォー。しかし、良血の誉れ高きニッポーテイオーは、単なるお坊ちゃまではなく、挫折の中から生まれたヒーローだった。

 デビュー戦は東京競馬場の芝1600m。スピードを武器に、後続を2秒2突き放す鮮烈なデビューを飾ったが、やや一本調子の先行力は他馬にとっては格好の目標にもなる両刃の刃だった。皐月賞(G1)8着。巻き返しが期待されたNHK杯(G2)も8着。一生一度のダービー(G1)の晴れ舞台を、みずからの意思で降りなければならない状況にもなった。

 その後、少しずつ末脚に磨きをかけたが、やはり、ここ一番ではとりこぼしが目立った。3歳秋のマイルチャンピオンシップ(G1)は痛恨の出遅れで2着。4歳になって安田記念(G1)、宝塚記念(G1)はともに2着。G2、G3競走ならばスピードだけで押し切れたが、G1レースを勝つための「何か」が足りないというのが、それまでのニッポーテイオーだった。

 その「何か」を打破するために試行錯誤を繰り返していた陣営は、欠点をカバーする消極的な戦法よりも、長所を生かすための戦法を選択した。やや距離に不安を抱えながらの天皇賞(秋)(G1)の5馬身差逃げ切りは、開き直りにも似た陣営の執念が実を結んだ結果でもあった。

 しかし、そんな思いも、得意とするはずのマイル戦で負けてしまえば、すべてが水泡に帰す。6割を超す単勝支持率を得て、最終オッズは1・2倍。単枠に指定されたこともあり、人気という名の重圧がニッポーテイオーの双肩にのしかかっていた。しかし、そんな心配を吹き飛ばす圧勝劇。さらに翌年の安田記念(G1)も制して、良血ニッポーテイオーは、名実ともに名馬になった。通算成績は21戦8勝2着8回(重賞7勝)。

 3つのG1タイトルを手土産に馬産地に帰ったニッポーテイオーだったが、種牡馬としては優秀な産駒に恵まれずに2000年に種牡馬生活を引退。現在は浦河町の優駿ビレッジ「AERU」でダイユウサク、ウイニングチケット、サニーブライアンらとともに余生を過ごしている。26歳。一緒に放牧されている馬たちの中では最年長だ。

 ウイニングチケットやダイユウサクが単独行動を好み、まだ若いサニーブライアンが何かにイラっとしているようでも、どっしりと落ち着いて存在感を示している。「4頭の中ではまとめ役的な存在です。仲の良い4頭ですが、いつもその中心にいるのがニッポーテイオーです。食欲はまったく落ちていません。年齢を重ねても、食欲があるということは元気ということです」というから安心して欲しい。
取材班