馬産地コラム

あの馬は今Vol.51~オークス・コスモドリーム

  • 2009年05月22日
  • 今のコスモドリーム~むかわ フラット牧場
    今のコスモドリーム~むかわ フラット牧場
  • 同

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1988年5月22日 オークス
 優勝馬  コスモドリーム
 生産牧場 白老  上田牧場
 繋養先  むかわ フラット牧場

 「えぇ、もう種付はしていません。悠々自適の生活です」とフラット牧場の伊藤明信場主が優しいまなざしをコスモドリームに送る。オグリキャップと同世代というから24歳。3歳夏の高松宮杯ではオグリキャップとともに古牡馬に挑戦し、3着という成績も残っている。「内臓が丈夫なんでしょうね。毛つやなんかも良いですし、春には、とてもよい発情もくるんですよ」とおどけたような表情を見せた。
 鼻を鳴らしながら、コスモドリームが近づいてくる。年齢相応の衰えはあるものの、太い骨としっかりした骨格、そして何よりも眼光鋭い瞳が力強い。
 「この牧場にはコスモドリームの娘と、孫と、ひ孫がいますが、共通しているのは、この骨と気の強さでしょうか。中でも、この馬が一番威張っています」と頼もしそうに笑った。「何しろ、この馬のお母さんは、ブゼンダイオーしか種付できなかったというエピソードもあるくらいですからね」と目を細めた。
 
 コスモドリームの母スイートドリームは気性が激しく、種付しようとする種牡馬を威嚇し、蹴り上げる馬だったという。もちろん相手がブゼンダイオーとて例外ではなかったそうだが、凡庸な成績しか残せず、アテ馬兼用として繋養されていたブゼンダイオーは必死でスイートドリームにしがみつき、そしてコスモドリームが誕生した。
 それを、偶然が生み出した産物と言ってしまえばあまりにも味気ない。オーナーの執念が生み出した名牝と表現したい。
 コスモドリーム。無限の可能性を秘めた夢。その名前のとおりのオークス快勝劇だった。

 それでも、栄光までのストーリーは、決して順風満帆なものではなかった。3歳1月のデビュー戦は1番人気に支持されていたものの後方から追い込んで届かずの3着。折り返しの新馬戦を大差勝ちして一部から注目される存在になったが、2番人気で出走した梅花賞は平凡な内容で3着。桜花賞出走にむけて、いちるの望みを託したチューリップ賞ではスタートしてすぐ落馬の憂き目にあった。さらに自己条件の平場戦でも離された2着と、ここまで5戦1勝。ここまでは、どこにでもいる、と言っては語弊があるかもしれないが、凡庸な1頭だった。
 
 転機になったのは、桜花賞の翌週に行なわれた「はなみずき賞」だった。芝の2200m戦。2着馬とはクビ差とはいえ、3着以下に4馬身の差をつけた。芝の長距離にある程度の手応えをつかんだとはいえ、半信半疑のままの東上だった。コスモドリームにとって幸運だったことはレコード決着となった桜花賞、そしてオークストライアルの4歳牝馬特別でワンツーフィニッシュを決めた庄野厩舎の2頭、アラホウトクとシヨノロマンがあまりにも強力だったことだろうか。結果、白旗をあげて出走を見合わせる馬が相次いで、フルゲートに満たない22頭のオークスとなった。そして、単枠指定されたアラホウトクのすぐ隣。3枠9番にコスモドリームはいた。そして、実は、それも悪戯好きな勝利の女神によって仕組まれた幸運のひとつだった。
 
 レースは激しい消耗戦になった。3番人気スイートローザンヌが2コーナー過ぎに骨折、競走中止の憂き目にあうのを横目に、アラホウトクは中団待機。その横にはピタリとコスモドリームがいた。良馬場発表とはいえ降りしきる雨は芝コースの状況を刻一刻と変化させ、レースをさらに難解なものにしていた。当時まだ20歳の熊沢騎手はクラシック競走はもちろん、東京競馬場も初体験。重賞競走すら勝っていない見習いジョッキーの作戦は「(アラホウトクに騎乗する)河内騎手についていけば間違いない」というものだった。終始アラホウトクを見るような位置でレースを進めていた熊沢騎手の視界から先輩ジョッキーの姿が消えたのはゴール前200mくらいだっただろうか。突き抜けたコスモドリームを待っているのは栄光のゴールだった。
 
 その後、コスモドリームは新たな可能性を求めて古牡馬を相手するローテーションが組まれ、高松宮杯3着、小倉記念2着、京都大賞典2着と勝てないまでも3歳牝馬としては大健闘を繰り返した。通算成績は13戦4勝2着3回3着3回。馬券の対象にならなかったのは落馬したチューリップ賞、宝塚記念、そして引退レースとなった高松宮杯という秀逸な成績を残した繁殖牝馬になった。当初は近隣の大手牧場で繁殖牝馬となったが、オーナーの意向でフラット牧場にやってきた。
 「わたしのような牧場に、オークス馬がやってくるなんて信じられませんでした。最初は聞き間違いかと思ったほどです」と伊藤明信さんが振り返る。「一番の思い出は、コスモドリームを受け取りに行くときのことですかね。馬が来てくれるのは嬉しいのですが、よそ様の牧場から取り上げるようで、やっぱり嫌なものですよ」。引き受けには伊藤さん自身が出向いた。「それが馬と、相手の牧場に対する礼儀だと思った」というのも生真面目な伊藤さんらしい。いくら近隣の牧場とはいえ、馬運車会社を使えばそれで済む話だからだ。

 「まるで、馬を買いにきた客のように扱われました。嬉しかったし、その姿勢から学ぶことは多かったです」と当時を懐かしむ。残念ながら、コスモドリームの直仔はその期待の大きさに応えるような産駒を残すことは出来なかったが「この馬のおかげで、今でも牧場を続けていけるのかもしれない。多くの人たちとも知り合いになれた。心の支えですよ。オーナーと、馬に感謝したい」という。今でも、現役時代を知るファンの人が訪ねてきてくれるそうだ。
 「いつまでも元気に過ごして欲しいです。そして、この馬が元気なうちに、またファミリーから活躍馬を出したいですね」という願いが現実のものとなるように心から祈りたい。

              日高案内所取材班