馬産地コラム

あの馬は今Vol.53~日本ダービー・アグネスフライト

  • 2009年06月06日
  • 今のアグネスフライト~日高スタリオンステーション
    今のアグネスフライト~日高スタリオンステーション
  • 同

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 2000年5月28日 日本ダービー
  優勝馬 アグネスフライト
       生産牧場 社台ファーム 
       繋養牧場 日高スタリオンステーション

 「思い出のダービーはありません。今年を思い出のダービーにしたいです」。アグネスフライトに騎乗する河内洋騎手(現調教師)は、ダービーフェスティバルでそうはっきりと宣言した。過去3度、ダービー1番人気を裏切っている、と書けばあまりにも平板だ。主役不在の混戦ダービー、デビューから3ヶ月目にダービーを迎えたラグビーボール(83年)重賞初挑戦で1番人気に祭り上げられたロングシンホニー(86年)、順調さを欠いていた88年のサッカーボーイ。いずれも「河内騎手なら何とかしてくれる」「困ったときの河内騎手頼み」の中での1番人気だった。
 ダービーオーナーになりたくて、1着賞金を超える金額でダイコーターをトレードしたといわれる上田清次郎氏。「もし勝てたら、騎手を辞めてもよいくらいの覚悟」と言った柴田政人騎手(現調教師)。ガンと戦いながら、壮絶な騎乗を見せた故・中島啓之騎手。ホースマンにとってのダービーは、言葉では言い表せないくらいに大きな存在だ。
 
 デビューして27年目。この日のアグネスフライトは、円熟の境地に入りつつあった河内騎手の気迫が乗り移ったようなレースを見せた。スタートして、いつもどおりに馬群から取り残された。圧倒的1番人気で皐月賞馬のエアシャカールを見る位置といえば聞こえはよいが、後ろには何もいない。3コーナーすぎ、場内実況が「アグネスフライトは最後方」と叫び、場内はざわつきを見せた。
 直線。常にエアシャカールを見る位置で競馬を進めていたアグネスフライトから武豊騎手の姿が遠のいた。残り200㍍。エアシャカールが後続を突き放した。しかし、そこからアグネスフライトの闘争心に火がついた。一完歩ごとに差を詰めて、並び、交わしたところがゴールだった。ハナ差。のちに菊花賞を制して“準三冠馬”となったエアシャカールにとっても大きなハナ差だったが、アグネスフライトと河内騎手にとってはそれ以上に大きなハナ差となった。

 祖母アグネスレディー、母アグネスフローラに続くG1勝利。そのいずれも河内騎手が手綱をとってのものだった。ここまで5戦4勝。3歳2月のデビューから3ヶ月足らずでのダービー制覇に「まだ大きな可能性を秘めた馬」と思われたが、その後は勝運に見離されるような競馬を続けて1歳違いの全弟アグネスタキオンに遅れること1年。2003年5月に日高スタリオンステーションで種牡馬になった。
 
 サンデーサイレンス産駒のダービー馬として大きな期待を集めてのスタッドインだったが、初年度に鼠径ヘルニアを発症。シーズン途中で配合を中止するアクシデントに見舞われた。2年目も病気のために種付を休止。3年目シーズンは92頭、4年目シーズンには67頭に配合してそれなりの産駒数を確保しているが、産駒のデビューとともに期待感は薄れ、その後は恵まれないシーズンを送っている。
 「とくに大事な1年目、2年目に休んだのは、生産者に与える印象という意味でも痛かったですね」と事務局。しかし、まだ12歳。2009年はアグネスフライトにとってはもっとも多い56頭の産駒が、いまや遅しとデビューを待っている。その現役時代同様に、種牡馬レースにおいても、豪快な追い込みを期待したいものだ。