あの馬は今Vol.52~NHKMC・ウインクリューガー
2003年5月11日 NHKマイルC
優勝馬 ウインクリューガー
生産牧場 静内橋本牧場
繋養先 日高スタリオンステーション
かつて、NHKマイルCはマル外ダービーと言われた時期があった。1990年代後半、エルコンドルパサー、グラスワンダーらの活躍によって爆発的に増えた外国産馬は、日本のレース体系を大きく揺るがしていた。強い外国産馬を締め出したクラシックレースは色あせ、そしてファンからソッポを向かれかねない。かといって、外国産馬にクラシックの出走権を与えるには生産界との調整も必要だ。そこで、かつて苦肉の策ではあるがダービートライアルのNHK杯を2000㍍から1600㍍に短縮。外国産馬が出走できるG1レースとして昇格させた。
実際、上位8着まで外国産馬が独占した第1回のタイキフォーチュンから第6回のクロフネまでは外国産馬が勝利しており内国産馬は顔色なしであった。しかし、その第6回(2001年)からは一部外国産馬にクラシックレースが開放されたことにより、このレースは“マル外ダービー”から“3歳マイル王決定戦”へと性格が変わりつつあった。、それをはっきりと印象付けたのが第8回のウインクリューガーだった。
この年、出走してきた外国産馬はわずかに4頭。それまでの7回はすべて半数以上が外国産馬で占められていたのだから、明らかな異変だった。外国産馬の減少という背景はあるものの、距離に不安のあるマイラーが、生まれた国に関係なくこのレースを選ぶようになった証でもある。
実際、人気はタイキシャトル産駒のゴールデンキャストと外国産馬のヒューマ(父ポリッシュプレシデント)が分け合う形となり、差がなくサクラバクシンオー産駒のサクラタイリンが続いていた。良馬場発表とはいえ、小雨降りしきる中ゲートが開いて、真っ先に飛び出したのはギャラントアローだったが、200㍍を過ぎたあたりからエースインザレースがハナを奪う。5ハロンの通過ラップが57秒8だから、やや速い流れの平均ラップながらも縦長の展開になった。もしかしたら武豊騎手が騎乗するゴールデンキャストが最後方からレースを進めたのも影響したのかもしれない。
エースインザレースが快調にラップを刻み、離れた2番手にはウインクリューガー。直線に向いて、逃げ込みを図るエースインザレースを残り300㍍あたりでウインクリューガーが先頭に立つと、もう追いかけてくる馬はいなかった。1分34秒2で誰もいないゴールへと飛び込んだ。
前年までの大規模改修工事で直線が約25メートル延長されたことに惑わされたわけではないだろうが、新装なった東京競馬場で行なわれた初G1レースが時代の変化を示すレースになったのも象徴的だった。
その後、勝星に見離されたウインクリューガーは7歳初夏に障害競走に転向。その初戦で4年2ヶ月ぶりに先頭ゴールインを記録するも続くレースで脚部不安を発症。引退を余儀なくされ、2008年から浦河町の日高スタリオンステーションで種牡馬になった。
初年度の配合は15頭。G1ウイナーとしては決して恵まれた数ではないが、2年目の今年はさらに苦戦を強いられている。「まだ若い馬ですし、元気のよい種付をします。元気を余しているのか、放牧地では歩き回っていることが多いですね」と三好場長。人には慣れており、手を焼かせることはないそうだが、とにかくアグレッシブ。そうした一面が産駒に伝われば、父タイキシャトル、そして本馬ゆずりのスピードを持った馬がターフをにぎわせてくれることだろう。
日高案内所取材班
優勝馬 ウインクリューガー
生産牧場 静内橋本牧場
繋養先 日高スタリオンステーション
かつて、NHKマイルCはマル外ダービーと言われた時期があった。1990年代後半、エルコンドルパサー、グラスワンダーらの活躍によって爆発的に増えた外国産馬は、日本のレース体系を大きく揺るがしていた。強い外国産馬を締め出したクラシックレースは色あせ、そしてファンからソッポを向かれかねない。かといって、外国産馬にクラシックの出走権を与えるには生産界との調整も必要だ。そこで、かつて苦肉の策ではあるがダービートライアルのNHK杯を2000㍍から1600㍍に短縮。外国産馬が出走できるG1レースとして昇格させた。
実際、上位8着まで外国産馬が独占した第1回のタイキフォーチュンから第6回のクロフネまでは外国産馬が勝利しており内国産馬は顔色なしであった。しかし、その第6回(2001年)からは一部外国産馬にクラシックレースが開放されたことにより、このレースは“マル外ダービー”から“3歳マイル王決定戦”へと性格が変わりつつあった。、それをはっきりと印象付けたのが第8回のウインクリューガーだった。
この年、出走してきた外国産馬はわずかに4頭。それまでの7回はすべて半数以上が外国産馬で占められていたのだから、明らかな異変だった。外国産馬の減少という背景はあるものの、距離に不安のあるマイラーが、生まれた国に関係なくこのレースを選ぶようになった証でもある。
実際、人気はタイキシャトル産駒のゴールデンキャストと外国産馬のヒューマ(父ポリッシュプレシデント)が分け合う形となり、差がなくサクラバクシンオー産駒のサクラタイリンが続いていた。良馬場発表とはいえ、小雨降りしきる中ゲートが開いて、真っ先に飛び出したのはギャラントアローだったが、200㍍を過ぎたあたりからエースインザレースがハナを奪う。5ハロンの通過ラップが57秒8だから、やや速い流れの平均ラップながらも縦長の展開になった。もしかしたら武豊騎手が騎乗するゴールデンキャストが最後方からレースを進めたのも影響したのかもしれない。
エースインザレースが快調にラップを刻み、離れた2番手にはウインクリューガー。直線に向いて、逃げ込みを図るエースインザレースを残り300㍍あたりでウインクリューガーが先頭に立つと、もう追いかけてくる馬はいなかった。1分34秒2で誰もいないゴールへと飛び込んだ。
前年までの大規模改修工事で直線が約25メートル延長されたことに惑わされたわけではないだろうが、新装なった東京競馬場で行なわれた初G1レースが時代の変化を示すレースになったのも象徴的だった。
その後、勝星に見離されたウインクリューガーは7歳初夏に障害競走に転向。その初戦で4年2ヶ月ぶりに先頭ゴールインを記録するも続くレースで脚部不安を発症。引退を余儀なくされ、2008年から浦河町の日高スタリオンステーションで種牡馬になった。
初年度の配合は15頭。G1ウイナーとしては決して恵まれた数ではないが、2年目の今年はさらに苦戦を強いられている。「まだ若い馬ですし、元気のよい種付をします。元気を余しているのか、放牧地では歩き回っていることが多いですね」と三好場長。人には慣れており、手を焼かせることはないそうだが、とにかくアグレッシブ。そうした一面が産駒に伝われば、父タイキシャトル、そして本馬ゆずりのスピードを持った馬がターフをにぎわせてくれることだろう。
日高案内所取材班