馬産地コラム

あの馬は今Vol.14~天皇賞・ヤエノムテキ

  • 2006年11月01日
  • 今のヤエノムテキ1
    今のヤエノムテキ1
  • 今のヤエノムテキ2
    今のヤエノムテキ2
  • 今のヤエノムテキ3
    今のヤエノムテキ3
 1990年10月28日 天皇賞・秋

 日高でも最古の歴史を誇るという日高スタリオンステーション(浦河町東栄)。海沿いの小高い丘にあるこの種馬場は、かつてヒンドスタンやネヴァービートといったチャンピオンサイアーを通して、多くの優駿誕生を演出してきた。時代とともに厩舎は近代風に建て替えられ、牧柵も打ちかえられているが、草は、土は、空気は、かつてのままだ。
 約20ある放牧地の、その中心部分にヤエノムテキがいる。美しい栗毛の体は現役当時の面影をそのまま残している。穏やかな秋の陽射しに筋肉質の体が黄金色に輝いている。それは、あの日、東京競馬場のパドックでみたヤエノムテキそのままだった。

 ヤエノムテキが過ごした1980年代後半は、競馬ブーム真っ只中だった。同期にはオグリキャップがいて、スーパークリークがいて、サッカーボーイがいた。バンブーメモリーやメジロアルダンもダイユウサクも、同じ年に産声を挙げている。1歳上の世代にはタマモクロスやイナリワンがいた。皐月賞に勝ち、菊花賞で1番人気に支持されたヤエノムテキも、その後は善戦はすれども、なかなか勝ちきれない競馬を続けていた。
 天皇賞3連覇を目指したスーパークリークが体調不良で直前に出走を見合わせ、イナリワンも駒を進めることができなかった天皇賞・秋。1番人気に支持されたオグリキャップも脚部不安で米国遠征を中止したあとは、9月まで温泉で回復に努めており、急仕上げは否めない中での参戦だった。
 「負けられない戦い」だった。自身の、そしてライバルたちのためにも。4枠7番からスタートしたヤエノムテキは、道中、中団のインコースを進み、直線で馬群がゴチャつく直前に、すり抜けるように先頭に踊り出た。セオリーから言えば明らかに早仕掛けだったが「あの一瞬しかなかった」と岡部幸雄騎手が振りかえるタイミングでのスパートだった。同世代のメジロアルダン、バンブーメモリーを抑えて先頭でゴールイン。凌ぎを削っていたライバルはいなかったが、サクラユタカオーが持っていた従来のレコードを更新する快走だった。

 「若いときと変わらないねぇ。相変わらず、頑固な馬ですよ。気分屋っていうのかな」と日高スタリオンステーションの三好正義場長が笑う。牧場時代からガキ大将だった栗毛馬は、競走馬となってからもきままな性格はそのままだった。それゆえか、勝てそうなレースを取りこぼしたかと思えば、あっと驚くような快走を見せる。そんな性格が多くのファンから愛される理由かもしれない。「ファンの多い馬ですからね。今でもたくさんのファンに支えられて幸せな馬だと思います。1年でも長く元気でいてほしいですね」と暖かな視線を送っている。

           30日   日高案内所取材班