馬産地コラム

あの馬は今Vol.6~NHKM・タイキフォーチュン

  • 2006年05月07日
  • 4日のタイキフォーチュン~浦河イーストスタッドにて
    4日のタイキフォーチュン~浦河イーストスタッドにて
  • 同

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 千歳空港を日高への玄関口とすれば、スタリオンとしては1番奥。浦河町のイーストスタッドに、13歳となったタイキフォーチュンがいた。 本来であれば、種牡馬として最盛期を迎える年齢だが、タイキフォーチュンを配合したいという生産者は、昨年も、そして今年も4月末現在で現れない。「決して扱い易い馬ではないのですが、スタリオンにとってはなくてはならない馬なんです」と青木大典場長以下の愛情のもと、いまも元気に過ごしている。

 タイキフォーチュンがターフを賑わせた1990年代なかばは、外国産馬全盛期だった。灯をつけたのはトレーニングセール出身のヒシマサル。92年春にクラシックに直結する重賞を3連勝。外国産馬であるという理由だけで、2冠馬ミホノブルボンとの直接対決がままならない状況にファンの不満は爆発した。そしてヒシアマゾン、タイキブリザード、スキーキャプテン…。
 日増しに高まるファンの声に応えるように、新設されたのが外国産馬も「出走できる」3歳春のマイルG1。それがNHKマイルCだった。 その記念すべき第1回。ふたを開ければ出走馬18頭中、内国産馬はわずかに4頭。誰彼といわず「マル外ダービー」と言われた。
 デビューから不敗の3連勝で駒を進めてきたファビラスラフインが1番人気。続いて弥生賞2着のツクバシンフォニー、アーリントンCを快勝してきたスギノハヤカゼが3番人気と続き、前走で毎日杯を勝ったとはいえ、タイキフォーチュンは4番人気での出走だった。
 レースを引っ張ったのは内国産のバンブーピノ。前半5ハロンを56秒7というハイペースで飛ばし、レースを盛り上げた。好位を進んだファビラスラフインも直線なかばまでは頑張っていたが、直線坂上から一気に抜け出したのはタイキフォーチュンだった。超がつくハイペースの中、最後1ハロン11秒8でフィニッシュし、走破時計はオグリキャップが安田記念で記録したレコードにコンマ2秒と迫る1分32秒6。1400m通過タイムは前日に行われた京王杯SC(勝馬ハートレイク)よりもコンマ3秒早いものだった。
 
 その後、タイキフォーチュンには安田記念や宝塚記念への出走も検討されたが、最終的には秋に備えることになったが、このNHKマイルCを最後に再びタイキフォーチュンに華やかなスポットライトがあたることはなかった。「世代で1番強い」ことを証明するために出走した毎日王冠、ジャパンC、有馬記念は惨敗。それでも、同馬の輝きを忘れないファンは翌年の安田記念で2番人気に支持するも11着。マイルチャンピオンシップにいたってはスタート直後に柴田騎手を振り落とし、ジャパンカップではシンガリ負けを喫する始末。それでも同馬の強さを信じる関係者が復活を目指したが、出走することもままならず、1999年秋、結局通算15戦4勝で引退した。NHKマイルCから4年。最後に出走したジャパンCから2年の月日が経過していた。
 
 引退の時期を逃がし、さらにエルコンドルパサーやスペシャルウィークらと同じ年にスタッドインとなったタイキフォーチュンは決して恵まれた種牡馬生活とはいえないが、今も元気に暮らしている。それを“幸せ”と呼ぶのは、人間のエゴだろうか。

            5月4日取材 日高案内所取材班