馬産地コラム

あの馬は今Vol.5~天皇賞春・モンテファスト

  • 2006年05月02日
  • 現在のモンテファスト(1日撮影)
    現在のモンテファスト(1日撮影)
  • 同

  • すな浴びするモンテファスト(1日撮影)
    すな浴びするモンテファスト(1日撮影)
ー1984年 天皇賞・春 勝馬モンテファストー

 子供の頃、もっとも身近な存在が実兄だった。3つ上の兄は、長男特有ともいえる親の愛情をたっぷりと受けて育ち、そしてボクはといえば、いつも兄の着ていた古着を着させられていたような気がする。それが嫌だったわけではない。次男特有のマイペースさを持ち併せていたボクは、そつなく、何でもこなす兄をむしろ自慢のタネとしていた。憧れというと大袈裟だが、決してライバルではない。尊敬の念にも似た不思議な感覚で兄の背中をずっと見ていたのだ。
 
 モンテファストとの出会いが、そのことを思い出させた。モンテファストは“太陽の貴公子”といわれたモンテプリンスと1歳違いの全弟にあたる。はやくから素質を認められ、天皇賞・春や宝塚記念に勝った全兄と異なり、弟はといえば、4戦目に未勝利戦を脱出したあとも、条件戦すらなかなか勝てずに苦戦を続けていた。それでもジワジワと力をつけて、重賞初挑戦は5歳夏。その秋に行われた目黒記念で見事に重賞初勝利を飾る。
 
 ところが“良血開花”と期待された有馬記念はリードホーユーから離された7着。捲土重来を期した年明けの日経賞も不良馬場に足をとられてハヤテミグの4着とよいところを見せることはできなかった。それでも、6歳春、天皇賞に駒を進めてきた。
 昨今の流行風に言うならば「絶対に負けられない戦い」が、そこにあった。モンテプリンスの全弟として、そして何よりも自分自身の存在価値のために。この日、人気を集めていたのは前年2着のホリスキーだったが、中団を進んだモンテファストは早めスパートから先頭にたって3分22秒3で堂々の優勝を飾った。兄弟での天皇賞制覇は、長い伝統を誇る天皇賞の中でも史上2例目という快挙であった
 
 しかし、その後、モンテファストはスピード偏重の時代の流れの中で対応力を失い、距離短縮された84年の天皇賞・秋を最後に引退し、種牡馬となった。しかし、スピード化の流れは押し止まるところを知らずにステイヤー型種牡馬は繁殖牝馬の質、量ともにあまり恵まれることがなく、東京王冠賞2着のキングフォンテンを出した程度で2000年には種牡馬登録を抹消されている。

 現在は三石町の中橋清牧場で静かに余勢を送っているが、28歳という年齢を微塵も感じさせないほどに元気一杯だ。放牧地ではときおり、カラスを追い払おうと軽快なフットワークを見せて見学者たちを驚かせている。

          5月1日取材  日高案内所取材班