馬産地コラム

あの馬は今Vol.33~朝日杯・リンドシェーバー

  • 2007年11月30日
  • 今のリンドシェーバー~浦河町・日高スタリオンで
    今のリンドシェーバー~浦河町・日高スタリオンで
  • 同

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1990年12月9日 
朝日杯3歳S 優勝馬 リンドシェーバー

時代が、大きく変わろうとしていた。1989年には41頭だったJRAにおける外国産馬の出走頭数が翌90年には75頭に跳ね上がり、91年には119頭に。以降、131頭、165頭、285頭、455頭ととどまるところを知らず、98年には917頭になった。シンコウラブリイ、ヒシマサル、ヒシアマゾン、ファビラスラフイン、タイキシャトル、エルコンドルパサー、グラスワンダー…。毎年のように「10年に1頭の名馬」が続出し、馬主は外国産馬を競って買い求めた。その先陣をきったのが90年の朝日杯3歳Sを快勝したリンドシェーバーだった。
 
 リンドシェーバーは89年のキーンランドセールで52万5000ドルと当時の日本馬としては破格値で取引された馬だった。輸入後、1歳12月に美浦トレセン近くの民間育成施設へ移動。その後、美浦の元石孝昭厩舎に入厩した。
 ソエに悩まされながら7月の札幌競馬で新馬、特別戦を連勝。圧倒的人気に支持された函館3歳Sは馬場の悪いところを通って2着と敗れたが、捲土重来を期して3歳チャンピオン決定戦に駒を進めてきた。
 新馬、新潟3歳S、京成杯3歳Sと土つかずの3連勝していたビッグファイトがわずかの差で2番人気で、3番人気にはデビューから2連勝中のダイナマイトダディが続き、豪快な追い込みで堅実な成績を残していたブリザードも虎視眈々と逆転を狙っていた。
 ゲートが開き、ダッシュを利かせて飛び出したのはビッグファイトだったが、二の足を利かせてエディターがハナにたつ。リンドシェーバーは好位をキープしようとしたが、1000m通過が57秒7というハイラップに、やや位置取りを下げる。ビッグファイトはリンドシェーバーをマークするようにレースを進めている。各馬のポジションがめまぐるしく変わる中、4角をまわってリンドシェーバーがまず抜け出したが、柴田政人騎手のムチに応えるようにインをすくってビッグファイトが差を詰める。場内が沸いたのはその一瞬だった。手ごたえ十分のリンドシェーバーは気合を付けられると後続を引き離してゴールへと飛び込んだ。勝ち時計の1分34秒0は、14年前に同じ外国産馬(扱い)だったマルゼンスキーのレコードをコンマ4秒短縮するものであった。チャンピオンサイアーを続けていたノーザンテースト産駒を外国産馬が子供扱いするシーンが、その後の外国産馬ブームをつくったといっても過言ではない。
  
 そんなリンドシェーバーも19歳になった。グッドセカンドクラスの種牡馬としてギャラントアローやサイコーキララ、レインボークイーンなどの活躍馬を出してきたが、昨年シンジケートが解散して、種付頭数が減ってしまった。現在は、浦河の日高スタリオンに供用されているが「まだまだ元気ですよ。年齢の割には馬は若いと思います。ベテランで、種付けも上手ですね。まだ現役種牡馬ですから、シンジケートのメンバーを悔しがらせるような活躍馬を出して欲しいですね」とスタリオンでは期待をしている。

                    日高案内所取材班