馬産地コラム

レガシーワールドを訪ねて~へいはた牧場

  • 2014年12月04日
  • レガシーワールド
    レガシーワールド
  • 幣旗力さんと
    幣旗力さんと
  • 若々しい馬体
    若々しい馬体
  • 相思相愛のハニーちゃん
    相思相愛のハニーちゃん
  • 懐かしい写真
    懐かしい写真

 1993年のジャパンカップ(G1)、1992年のセントライト記念(G2)を制したレガシーワールド(セン25歳、へいはた牧場生産、父モガミ、母ドンナリディア)が功労馬生活を送るへいはた牧場(新ひだか町)を訪ねた。

 「牧場時代は、ごく平々凡々とした馬で目立つ事もせず、手もかからず特に変わったところの無い馬でしたよ」。25年前の話を昨日の事のように教えてくれたのはへいはた牧場創業者の幣旗力さん。京都で厩務員をしていたが50年前、冬の北海道に一家で移住し、車も重機も無い時代に寒さと戦いながら牧柵を立てるため来る日も来る日も手掘りで穴掘り、馬の世話など必死でやって来た。苦労の連続だったと言う。それから25年の月日が経ち、レガシーワールドが生まれた。

 「デビューした頃はゲートが下手な馬でした。いつでも出遅れ。それでも、5着以内を保っていたのでスタートさえまともにきれば良い結果に結びつくと期待を持っていました。」その後骨折し休養に入った際、気性難やゲート癖を考慮した戸山調教師の提案で去勢することとなった。

 3歳(旧4歳)になる1992年才能が開花し始めた頃、戸山調教師との懐かしいやりとりがあったそうだ。福島の未勝利を勝ち函館のUHB杯2着を経て2週間後のセントライト記念(G2)に出走させると聞いた時、幣旗さんは「いいかげんにせい!と言いました。セントライト記念(G2)出走なんてまだ力が足りないと思ったからです。だけど戸山調教師は「何言うてんねん。一緒に応援に行くぞ!」と自信満々でした。言われた通り応援しに行きましたよ。結果は大激戦の末、あのライスシャワーに勝ったんです。」この年、ジャパンカップ(G1)に臨んだが4着に終わった。だが、このレースでレガシーワールドの底知れぬ強さを感じたそうだ。

 1993年、リベンジのジャパンカップ(G1)を迎えた。レース前、パドックで馬の様子を見ていた時にイギリス人記者からこう話しかけられたそうだ。「失礼な事を言うかもしれませんが、あの馬は調教しているのですか?」と聞かれました。モガミ産駒特有の、お腹もお尻も大きくがっしりした体型だったからでしょう。だから「ハードなトレーニング調教をしているんですよ。」と答えると、信じられないという表情で去って行きました。先頭でゴールを果たしたのちの祝賀会にさっきのイギリス人記者が現れて「先ほどは失礼な事を言ってしまってごめんなさい。」とわざわざ言いに来てくれたんですよ。」と懐かしそうに目を細めた。

 8歳(旧9歳)で競走馬を引退すると、せん馬ということもあってそのままへいはた牧場に帰って来た。それからファンが今でもたくさん会いに来てくれるという。牧場ではワールドと呼ばれとても大切にされていて若々しい馬体も維持したままだ。「ワールドは私達に人と人との繋がりをたくさん作ってくれました。みんなにお父さん、お母さんと呼ばれて嬉しい限りです。」

 そんなワールドは馬房も放牧地も一緒という、寝ても覚めてもハニーちゃんと一緒の生活を送っている。ポニーのハニーちゃんがいないと騒ぐほど大好きらしい。朝、放牧地に2頭で放すと喜んでおならをしながら走り回るというのだから本当に楽しいのだろう。写真を撮るために近づくと、ポーズを決めてくれた。「ワールドは一番幸せな生活をしている馬だと思います。」と幣旗力さん美和子さんご夫婦が言うように、幸せオーラを発しながらこれからもずっと健康で元気で輝いていてほしい。