馬産地コラム

メイショウレグナムを訪ねて~日高町家畜自衛防疫組合(旧五輪共同育成センター)

  • 2012年03月16日
  • メイショウレグナム
    メイショウレグナム
  • メイショウレグナム
    メイショウレグナム
  • 脚部をアイシング
    脚部をアイシング
  • 手入れの時も大人しく立っている
    手入れの時も大人しく立っている

 1995年の小倉大賞典(G3)の勝ち馬メイショウレグナム(西田牧場生産)を訪ねた。昨年から一時的に日高町家畜自衛防疫組合(旧五輪共同育成センター)で余生を過ごしている。

 東日本大震災の被災馬として、日高町へと移動してきて半年。共に過ごす仲間の中では数少ない昭和生まれで、人間で言うとおじいちゃんの年齢に達するが、新しい環境にもすっかり慣れた様子でいる。黒一色に包まれた馬体には、ふさふさの冬毛が生えて、北海道の厳しい寒さにも負けない。

 「具合は良いですよ。左トモのフレグモーネも順調に回復していまして、普通に歩けるようになっています。飼い葉もしっかり平らげていますし、体重は落ちていませんね。」と、スタッフ。日中はいつもサンシャインパドックで風にあたっている。広い放牧地で遊ぶ若馬を眺めながら、のんびり日向ぼっこをしているのがメイショウレグナムの過ごし方だ。

 現役時代では60戦近くのレースに出走。その半数近くを、トップジョッキー・武豊騎手がまたがったことは、この馬の自慢だろう。デビュー当時から500kgを超しており、当時としては目立って大きい馬だったが、コース問わず堅実に活躍した。札幌記念(G3)ではホクトベガの3着、中京記念(G3)ではチョウカイキャロルの2着に入り、小回り・ローカル重賞をにぎわせた一頭として、覚えているファンも多いだろう。通算で7勝、2着10回、3着は14回を数え、毎回きっちり仕事をするタイプだったが、重賞制覇にはやや時間を要し、8歳の小倉大賞典(G3)でようやく念願を果たした。武豊騎手との信頼の手綱で、1番人気に応えての勝利。辛抱強く重賞制覇に挑み続けた武邦彦調教師の喜びも、さぞかし大きかったものに違いない。

 引退後はしばらく、東京競馬場で乗馬、誘導馬として第2の馬生を歩んだ。その馬っぷりの良さ、黒光りするルックスは誘導馬の職にふさわしい。引退後、ターフで華麗なステップを踏むメイショウレグナムの写真は、インターネットでも探すことができる。あの頃に比べると、さすがに今は年老いてしまったが、北海道の空の下で悠々自適な毎日を送っている。ゆったりした表情の中にも、手厚い介護の心配はいらんよ、という声が聞こえてきそうな目をしている。長らく競馬場で吸い込んだ空気が、生きる力をより強いものにしているのかもしれない。