ダンスインザダークを訪ねて~社台スタリオンステーション
“荒削りな未完の大器”。それが、ダンスインザダークの第一印象だった。500キロを超える雄大な馬格から繰り出す破壊力十分な末脚。随所に若さを見せながらも快勝した新馬戦もさることながら、まるで1歩ずつ階段を昇るように力をつけた2歳秋から3歳春。そして、弥生賞(G2)で見せた完璧な強さは、完成した競走馬のようにも見えたが皐月賞(G1)は熱発で出走回避。プリンシパルSをステップに挑んだダービー(G1)は直線で一度は先頭に立ちながらもフサイチコンコルドの奇跡の末脚に屈した。“もっとも運の強い馬が勝つ”といわれる日本ダービー(G1)。ダンスインザダークにとって、最も不運だったのは6月5日に生まれたということだったのかもしれない。
一生一度の悔しさを晴らす舞台は、一生一度の舞台しかない。
1996年11月3日、京都競馬場。「強い馬が勝つんじゃない。勝った馬が強い」といわれる菊花賞(G1)。ダンスインザダークは、それまでの不運を突き破るように33秒8の末脚を繰り出して第57代の菊花賞馬に輝いた。そして、それが最後のレースとなった。
そんなダンスインザダークも18歳。15度目のシーズンを終えた。発表された種付頭数は68頭。普通の馬であれば十分な数字だが、ダンスインザダークにとっては過去最低の数字となった。「年齢的なものというよりも、ディープインパクトやハーツクライに代表されるような若いサンデーサイレンス系の台頭によるものと考えています」とはダンスインザダークが種牡馬生活を送る社台スタリオンステーションの徳武英介氏だ。「繁殖牝馬の争奪戦ですから、種牡馬の人気に流行というものがあるのは否定しませんが、もう1度見直して欲しいですね」という。
菊花賞馬から菊花賞馬。それも4歳以上の11世代の産駒で3頭の菊花賞馬の父となるというのは常識的ではない。これは、まだ競走馬資源が枯渇していた昭和30年代にトサミドリが記録した3頭と肩を並べる記録になっている。「伝えるものがしっかりしているということと、遺伝力の強さ。そして何よりもポテンシャルの高さ。これもサンデーサイレンス直系種牡馬の魅力のひとつだと思っています」とダンスインザダークをほめる。
そんな折にダンスインザダーク産駒のクラレントがデイリー杯2歳S(G2)に優勝。新馬~重賞の離れ業をやってのけた。強烈な末脚は父親譲り。来年のクラシックに向けて大きく視界が広がった。「ダンスインザダークの仔は、仕上がりが早い馬やダートコースを苦にしない馬たちに比べて、クラシックの権利を取るまでが一苦労なんです。それでも、毎年重賞を勝っているように、同じステージに立ってしまえば、無類の強さを発揮するケースが多いんです。来年の春が楽しみですし、そのときダンスインザダークはまだ19歳。忙しい春になって欲しいです」と楽しみにしている。