馬産地コラム

フサイチコンコルドを訪ねて~ブリーダーズスタリオンステーション

  • 2011年10月15日
  • フサイチコンコルド~1
    フサイチコンコルド~1
  • フサイチコンコルド~2
    フサイチコンコルド~2
  • フサイチコンコルド~3
    フサイチコンコルド~3
  • フサイチコンコルド~4
    フサイチコンコルド~4

 「なぁんか、いつもと様子が違うって思っているみたい。ニンジンをあげようとしても食べないんだ」と待ち時間の間、スタリオンスタッフが寂しそうに報告にきた。「賢い馬だから、何となく気がついているのかもしれないよ」と坂本教文主任が慰めるようにつぶやく。担当だった工藤礼次さんは、全身全霊をかけてフサイチコンコルドの馬体を磨き上げることで、馬に感謝の気持ちを伝えようとしていた。

 ブリーダーズスタリオンステーションでの最後の時間が刻一刻と迫ってくる。

 既報のとおりに、第63回日本ダービー馬フサイチコンコルドは2011年のシーズンを最後に種牡馬生活を引退し、青森県で余生を送ることになった。出発まで、あと数時間。話題から遠ざかるように敢えて仕事に打ち込むものもいれば、直接的に別れを惜しむものもいる。それぞれの表現方法は異なるが、それぞれが、それぞれの方法で別れを惜しんでいた。愛された馬だった。

 1月5日のデビュー戦。そして、すみれS、日本ダービー(G1)。無駄を省いたというよりも綱渡りのようなローテーションののちに日本ダービー(G1)を先頭で駆け抜けたフサイチコンコルドは、文字どおりの天才ランナーだった。フサイチコンコルドの前にフサイチコンコルドは無く、フサイチコンコルドのあとにもフサイチコンコルドはいない。

 14年間の種牡馬生活で約1000頭の産駒を残し、ブルーコンコルド、バランスオブゲーム、オースミハルカ等など。さまざまなカテゴリーで印象的な馬を残してくれた。

 「基本的には扱い易い馬で、手を焼いた記憶はほとんどありませんが、振り返るといろいろな思いがあります」と7年間の苦楽をともにした工藤さん。「なにしろダービー馬ですから。最初に担当を命じられたときは嬉しかったですよ」と、その第一印象を思い出してくれた。

 「気持ちの切り替えが上手で、オンオフがはっきりしていた馬でした。種付時の迫力と、穏やかな普段。そのギャップも魅力のひとつでした」とポツリ。「大きな怪我や病気なく、種牡馬としての仕事をまっとうしてくれましたが、体質の弱い馬でした。現役時代もそうだったと聞いていますが、季節の変わり目なんかにはよく風邪をひいたりしたんです。場所は変わりますが、元気でやって欲しい」とパートナーを気遣った。

 18歳。早すぎる引退は、競走馬時代と同じだ。それもまたフサイチコンコルドらしいのかもしれない。優雅な馬体、嬋媛な歩様はもうこの場所で見ることはできないが、浅はかな知識と経験した持たない取材者に、サラブレッドという動物がこんなにも美しいものだということはフサイチコンコルドから教わった。

 ありがとう。