オースミロッチを訪ねて~ホーストラスト
競馬ブームが全盛だった1990年代前半、メジロマックイーンやメジロライアンで盛り上がった世代の名脇役として活躍したオースミロッチ(セン24歳、父アーティアス 母ロッチアイ)をホーストラスト(鹿児島県湧水町)に訪ねた。
本馬は1989年10月デビュー、3歳(現2歳)秋から5年間の長きに渡って活躍し、通算30戦8勝の成績を収めたが、特筆すべきはその8勝全てが京都での勝ち星であり、2勝した重賞の京都記念(G2)も京都大賞典(G2)と“京都”を冠するレースだった。“淀巧者・京都の申し子”と呼ばれるまでに活躍した。G1には6度挑戦し、勝つことは叶わなかったものの、1993年の宝塚記念(G1)では、最後の直線で不良馬場の最内をピッタリ走る大胆な戦法で逃げ込みを図り、同期のメジロマックイーンの3着に好走、この戦法は未だにファンの語り草になっている。
1995年より九州の吉永ファームにて種牡馬入りした本馬は、5世代で17頭の産駒を送り出したが、残念ながら中央競馬では勝ち星を挙げる産駒は現れなかった。種牡馬引退後は乗馬(引退功労馬)として過ごし、2008年11月にホーストラストへと移動して来た。
ここホーストラストでは年間を通じての昼夜放牧が基本なので、この時期の馬はふっくらとした冬毛に覆われている。本馬もモコモコとしているが元気そうだ。「明けて24歳の高齢ですが、マイペースな性格でゆったりとした老後を送っていますよ」と語ってくれたのはホーストラスト・マネージャーの小西英司さん。