エイシンサンディを訪ねて~レックススタッド
生まれたときから、期待の良血馬だった。
父サンデーサイレンス、母エイシンウイザード。
日本競馬史上最高価格(当時)でシンジケートされた父の2世代目産駒として産まれ、母は重賞2着3回3着2回。JRAで7勝を記録したほか桜花賞(G1)でも5着になる活躍馬だった。母系をさかのぼれば名牝ガーネットにさかのぼり、近親にはワイドセイコー(東海桜花賞)やトーホウドリーム(産経大阪杯(G2))、サマーシャドウ(ジャパンダートダービー(中央交流)(G1)3着)などがいる血統だ。
しかし、牧場時代に負った右肩の怪我が原因で競走馬としてのデビューを断念。2歳7月には競走登録を抹消され、3歳春から新ひだか町のレックススタッドで種牡馬になった。設定された種付料は、競走実績と同じゼロ。しかし、前年にチャンピオンサイアーとなった父サンデーサイレンスのネームヴァリューは絶大だった。
バブルガムフェロー、イシノサンデー、ダンスインザダーク、ロイヤルタッチら同期生がクラシック戦線でしのぎを削っている頃、エイシンサンディはレックススタッドで二世作りに励むことになった。文字どおりに“ゼロからの出発”だったが、わずかな追い風を味方に、45頭の繁殖牝馬が集まった、その中に、のちにミツアキサイレンスの母となるユウコウターナがいた。
もし仮に、エイシンサンディがサンデーサイレンスの初年度産駒として生まれていたなら、種牡馬として供用されたがどうかは怪しいし、3世代目産駒以降に生まれていたなら、これら繁殖牝馬に恵まれたかどうかは疑問だ。
「運命は我々に幸福も不幸も与えない」と言ったのはフランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュだったが、エイシンサンディはみずからの力で運命を切り拓いていった。2年目以降は19頭、15頭、7頭と落ち込んだが、ミツアキサイレンスらの活躍で5年目シーズンは163頭と配合数は跳ね上がった。そうした中から2005年のチューリップ賞(G3)優勝エイシンテンダーが出て、同年の交流G3北海道2歳優駿勝馬エイティジャガーが父の名を高めた。ベンチャーナイン、ケイジーロマン。2003年にはNAR2歳サイアーランキング2位となり、同2004年5位、2007年3位と、産駒は芝ダートを問わずに気の強さを前面に押し出したスピードを武器に活躍している。
そんなエイシンサンディも17歳になった。「以前に比べれば多少は落ち着いたところはありますけど、我の強いところがあって、気の強さはあいかわらずですね」という。少しでも良い草を求めて放牧地を歩き回る姿には、貫禄すら漂っている。「もうベテラン種牡馬ですから、種付に関しては心配するところはありません」と泉山場長の信頼も厚い。2010年シーズンは30頭への種付を記録した。「生産者の信頼も厚いですよ。また大物を出してほしいですね」と期待されている。