馬産地コラム

システィーナを訪ねて~大成牧場

  • 2010年04月07日
  • 繁殖牝馬を引退して余生を過ごしているシスティーナ
    繁殖牝馬を引退して余生を過ごしているシスティーナ
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 引退。文字どおりに引いて退くこと。絶頂期に惜しまれつつ退く場合もあれば、ボロボロになりながらも引かない場合もある。それはポリシーであり、生き様だ。

 イタリアルネッサンスを代表する芸術家ミケランジェロ・ビオナローティが描いた天井画で有名な礼拝堂から名前をもらったシスティーナは、その壮大な宗教画に描かれたような苦悩を繰り返しまがら、そのラストランを初重賞制覇で飾った。それは決して余力を残した引退でもなければ、石もて追われるかの如くのものでもなかった。強いて言うなら、馬のプライドを守るためのギリギリの選択だった。

 システィーナは、父サクラユタカオー、母ダイナコマネチ(その父ノーザンテースト)という血統。1989年に門別町のヤナガワ牧場で生まれている。デビューは3歳3月。慢性の脚部不安を抱えていた同馬のデビュー戦は、脚元に負担がかからないようにダートの短距離が選ばれたが、それは「本当は芝向きのスピード馬(管理した境征勝調教師)」というから本意の選択ではなかった。同世代のニシノフラワーやアドラーブル、サンエイサンキューなどが華やかなスポットライトを浴びている間に雌伏の時を過ごし、しかも、3歳秋からは1年以上にも及ぶ戦線離脱を余儀なくされた。

そして、ひとつずつ課題をクリアし、オープン馬の仲間入りを果たした頃から、芝のレースを使えるようになってきた。デビュー前から悩まされ続けていた骨膜炎が治まってきたのだ。エプソムC(G3)3着、七夕賞(G3)3着、関屋記念(G3)2着。牡馬を相手に健闘を続けたシスティーナが最後のレースに選んだのは京都牝馬特別(G3)。牝馬同士のここは負けられない1戦。そこで、いつものように先行し、いつものように抜け出し、迫るサマニベッピンの猛追をハナ差退けて優勝した。

 あれから15度目の春がやってこようとしている。すでに繁殖生活も引退しているが、娘のタフグレイスやミヤビビジンらとともに浦河町の大成牧場で過ごしている。降り積もった雪が栗毛の馬体を鮮やかに浮かび上がらせる。「システィーナの仕事は、若い牝馬の教育係(スタッフ)」というように、あがり馬(引退直後の未供用馬)や前年の不受胎牝馬などと放牧されている。「功労馬ですから、もう種付けはしていません。若いうちに比べるとだいぶ扱いやすくなりましたが、気の強いところはまだ若い馬たちに負けていませんね。やっぱり活躍した馬というのはどこか違いますね」とスタッフを驚かせている。放牧地ではまわりを若い馬たちが走り回っても、超然といなすような風格を漂わせている。礼儀を知らぬ若馬に対しては、ときおり威嚇するように睨みを利かせるあたりが貫禄だ。

 現役を終えてから、いくつかの牧場を歩いてきたシスティーナだが「ここを安住の地にしてほしい」というのが現在のスタッフ共通の思いだ。そんなスタッフに囲まれて幸せな日々を過ごしている。
取材班