馬産地コラム

あの馬は今Vol.49~皐月賞・ジェニュイン

  • 2009年04月28日
  • 今のジェニュイン~静内 レックススタッド
    今のジェニュイン~静内 レックススタッド
  • 同

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 1995年4月16日 皐月賞
優勝馬 ジェニュイン
 
 春になると、ジェニュインを思い出す。
 まだサンデーサイレンスの本当のすごさを思い知らされる前、その馬名はまるでプレリュードのように耳に入ってきた。真偽のほどは確かではないが、ミスターシービー、ウイナーズサークルを育てた松山康久調教師が当歳時の本馬にほれ込み、そして命名したともいわれる馬名。  「本物、正真正銘」といった意味らしいが、語感がよく、一度聞いたら忘れることはできない。
 
 デビュー戦での反省からシャドーロールを着用するようになり、赤松賞ではコクトジュリアンに鋭さ負け。若葉S1着といえば聞こえはよいが、2位入線の繰上げ優勝。1位入線馬ははるか5馬身先にいた。それでも、ひとつづつ、競馬を教えるようにキャリアを積み上げた6戦目。ジェニュインは、初めての重賞挑戦でG1ウイナーに輝いた。
 
 デビュー以来、一度も逃げたことのないマイネルブリッジがつくるスローペースの2番手をがっちりとキープし、早めのスパートから後続の追撃を退けた。出走すれば人気を集めただろう前年の2歳王者フジキセキやスプリングSの勝馬ナリタキングオーの不在を勝因にあげる人もいれば、展開の利を言う人もいた。しかし、ぼくの目にはすべての幸運を自分のものとする「力」がジェニュインにはあったように見えた。
 「幸運とは、チャンスに対して準備が出来ていること」というセリフは、まさに、このときのジェニュインのためにあったような言葉ではないかと思っている。そのあとのダービー、天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップ等々。ジェニュインは多くの名勝負を残してターフを去ったが、ジェニュインのベストパフォーマンスは、あの皐月賞にあると思っている。
 
 あれから14年目の春。目の前にいるジェニュインは、もしゃもしゃと草を噛み続ける1頭のサラブレッドだ。「だいぶ大人になったよ。今でも種付は大好きだし」と泉山義春場長が目を細める。人が近づくと、牧柵沿いにやってきて、何かをねだるように顔を突き出す。「朝、放牧に出すと今でも真っ先に走り出すんだ。元気があまっているんだろうね」と頼もしそうだ。「前の日に馬体を洗って馬房にいれるだろ。朝、ひとしきり走り回ったあとはゴロンと横になる。砂遊びが大好きなんだよな」と笑う。そして、種付、再度の放牧。ついた泥を、再び洗い流してジェニュインと担当者の一日は終わる。
 
 「南半球ではずいぶんと評価が高いみたいだけど」とポツリ。2001年から4年間、豪州へシャトル供用された同馬は、その人気ゆえに2004年は帰国せずに南半球のみで種付を行なった。その後、日本でも活躍馬が出て、2005年のシーズン途中に急きょ呼び戻されたが、それからは以前の輝きを取り戻せないままだ。現役時代には一度も走っていないダート戦で活躍馬を出し続け、障害競走の重賞勝馬を出すジェニュインに対して、配合を考える生産者にも迷いがあるようにも見える。残念ながら種牡馬としてのジェニュインは、チャンスに対して準備ができてなかったように思えるのは筆者だけだろうか。
 
 そんなことを考えながら放牧地を眺めていると、担当者が手綱を持ってやってきた。入り口付近まではすぐにやってくるのだが、なかなかつかませない。人を食ったようなその姿がいかにもジェニュインらしい。「この馬らしい活躍馬を期待したいね。期待しているんだから」。そう。みんなが待っているのは、正真正銘、本物らしいジェニュインらしいジェニュイン産駒だ。春になると、それを思い出す。

                   日高案内所取材班