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フジノマッケンオーが死亡

  • 2013年03月13日
  • フジノマッケンオー(2010年撮影)
    フジノマッケンオー(2010年撮影)
  • フジノマッケンオー(2010年撮影)
    フジノマッケンオー(2010年撮影)
  • フジノマッケンオー(2010年撮影)
    フジノマッケンオー(2010年撮影)

 新ひだか町三石の本桐牧場で余生を送っていたフジノマッケンオー(22歳、父ブレイヴェストローマン、母ドミナスローズ、母の父トウショウボーイ)が3月8日午後、結腸破裂のために死亡した。

 同馬の同期にはブライアンズタイムの初年度産駒であるナリタブライアン、チョウカイキャロルがいる世代だ。2歳12月のデビュー戦からスプリングS(G2)まで6戦連続連対を果たし、皐月賞(G1)は後方から脚を伸ばして3着。2着のサクラスーパーオーは4分の3差まで追い詰めたが、勝ったナリタブライアンは3馬身以上先にいた。ダービー(G1)は、3着ヤシマソブリンとはハナ差だったが、はるか先にナリタブライアンがいた。秋になって根岸S(G3)(現在の武蔵野S(G3)のような位置づけ)で重賞初勝利を飾ると、陣営はマイルチャンピオンシップ(G1)へと矛先を向け、ここで歴戦の古馬相手に3着と健闘する。ここまで13戦。掲示板を外したのは、ダービートライアルNHK杯(G2)6着ただ1度だけという堅実派であった。

 同期にナリタブライアンという桁はずれの怪物がいたためか、あるいは自身の適性を活かすためか。フジノマッケンオーは、いろいろなカテゴリーに挑戦し、芝でもダートでも、1200mから2400mの距離で、いつも一生懸命に走った優等生だった。

 その後、精彩を欠いた時期もあるが、通算成績は中央、地方で61戦8勝。1994年のJRA賞最優秀ダート馬に選出されたこともあったが、その真骨頂はオールマイティだ。芝・ダート、中央・地方で重賞競走を勝ち、出走した競馬場は全国で17にもなった。そして、2000年1月の荒尾競馬場10着を最後に現役生活を引退。種牡馬になった、はずだった。

 「はずだった」。というのは、種牡馬としてスタートを切ったものの、牝馬に興味を示さず、種付にいたらなかったからだ。1年間を静養にあてて、再びチャレンジしたものの状況に大きな変化はなく、種牡馬生活を断念。その後は、いくつかの功労馬施設を渡り歩いて2005年に生まれ故郷の本桐牧場に帰ってきた。

 それから足かけ8年。幾度か牧場に足を運ばせてもらったこともあるが、穏やかな表情と飄々としたマイペースぶりが印象に残っている。

 「沢山の皆さんに愛された孝行息子は幸せそうな表情で眠りにつきました。ファンの皆様には遠く日高に足を運んで会いに来て頂きましてありがとうございました」。

 本桐牧場のホームページに綴られた言葉は短いが、短い分、深い悲しみが表現されているような気がする。

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