馬産地ニュース

10日平取町の義経神社で初午祭が行なわれました。

  • 2006年02月10日
  • 平取町義経神社
    平取町義経神社
  • 神馬を先頭に参進する参列者
    神馬を先頭に参進する参列者
  • 悪鬼を降伏する神矢を放つ年男の橋本さん
    悪鬼を降伏する神矢を放つ年男の橋本さん
  • 見事、放たれた神矢を手にした後藤さん
    見事、放たれた神矢を手にした後藤さん
源義経公を御祭神とする平取町の義経神社で、愛馬の息災先勝などを祈念する初午祭が行なわれました。
 同神社によると、騎馬武者である義経公は馬を大事にしており、また初午の日に祈願すれば願いが叶うと言われ、馬産地では自然の流れのように現在の祭儀になったそうです。
 祭儀では、玉串が捧げられ祈願の儀が執り行われましが、クライマックスは、「矢刺しの神事」。直垂(ひたたれ)姿の行事者(年男)が馬上より、この年の歳破の方(凶方・今年は辰のほう・ほぼ東南東)に神矢(破魔矢)を三射し悪魔を降伏する儀で、その放たれた矢を拾った人には幸運が訪れるとのことで、積もった雪上での争奪戦は凄いものでした。
 今年、行事者の大役を務めたのは「多くの人の幸せを願い放ちました。」と語った橋本勝顕さん(72歳)。見事、神矢を手にした一人は後藤誠治さん(27歳)だった。後藤さんは西山牧場の育成担当スタッフで「狙っていましたよ。会社(西山牧場)で大事に祀り、今年は是非GⅠを取りたい。」と誇らしそうに笑顔を見せていました。

義経神社の名前のゆかり/ 衣川で討たれた義経は影武者で、実は落ち延びて蝦夷に逃げ、やがて大陸に渡り成吉思汗(ジンギスカン)になった・・と言う伝説が残っており、蝦夷地の探検に来た近藤重蔵が、この地に来てアイヌ民族に残るこの伝説から、義経像を彫りアイヌの民達に祀らせたのが始まりだといいます。