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あの馬は今Vol.45~朝日FS・アドマイヤドン

  • 2008年12月22日
  • 今のアドマイヤドン~社台スタリオンステーション
    今のアドマイヤドン~社台スタリオンステーション
  • 同

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 2001年12月9日  朝日杯フューチュリティS
             優勝馬 アドマイヤドン
 
 「負ける、ということは恥ずべきことではない」ということを偉大なるチャンピオンから学んだような気がする。
 ダートの新馬戦を8馬身差圧勝。続く京都2歳Sも初めての芝コース、そしていきなりの距離延長という不利を感じさせない内容で2連勝。そして、不敗のまま朝日杯フューチュリティSに駒を進めたアドマイヤドンは、ここも制圧。その名前のとおりに王道を突き進んだ。
 母は、93年の2冠牝馬ベガ。半兄にダービー馬アドマイヤベガがいて、父は94年の米国2歳チャンピオンのティンバーカントリー。こう書くと、まばゆいばかりの血統背景だが、時代はサンデーサイレンス全盛時代。サンデーサイレンスにあらざれば王者にあらず、というような風潮の中で、アドマイヤドンはその血の優秀性を証明しようと、常にうえを目指して戦い続けた。
 
 しかし、運命の女神は王者に試練を与え続けた。3歳春のクラシックロードは体調が整わず、皐月賞がマイナス12キロで7着。ダービーはさらに減ってマイナス10キロの体で6着。万全とは程遠い状態だったが、誇り高き王者は一生一度のクラシックに果敢に挑戦し続けた。
 その姿は美しかった。夏を越して、捲土重来を期した菊花賞は4着。決してベストの距離ではないだろう、その健闘に能力の高さを垣間見せたが、陣営は王者のプライドを取り戻すべく、中1週の強行スケジュールで盛岡競馬場で行われる第2回JBCクラシックへの出走を決める。そこから歴史に名を残すJBCクラシック3連覇、さらにはシンボリルドルフ、ディープインパクトらと肩を並べる7つのG1タイトルを獲得。その一方でさらに上を目指してドバイへ、あるいは芝の有馬記念へと挑戦し続けた。25戦10勝という数字は競走馬として特筆すべきもの。 JRA2歳チャンピオン、JRA最優秀ダート馬、NARグランプリ特別表彰馬。数々の栄光が、この馬の歴史を飾っている。しかし、いまこうしてアドマイヤドンを振り返るとき、勝ったレースよりも負けたレースの方が印象に残っている。
 
 2005年に引退が発表された同馬は、翌年から社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送っている。引退後に発症したた腸ねん転の手術の影響で、毎年の種付頭数は制限されているが、仔出しはよく、生産者の評判も上々だ。倒れ、傷つきながらも這い上がってきた天才ランナーの血を受け継ぐ産駒のデビューは、来年だ。

                日高案内所取材班