馬産地コラム

リバーセキトバを訪ねて~高知県・土佐黒潮牧場

  • リバーセキトバ
    リバーセキトバ
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  • 北側パドック一番奥の放牧地から見下ろした景色
    北側パドック一番奥の放牧地から見下ろした景色
 1998年3月24日に行われた高知競馬初のグレードレース、第1回黒船賞(G3)を高知競馬所属馬として制したリバーセキトバ(牡20歳、父マルゼンスター 母サンコートクイーン)を高知県須崎市の土佐黒潮牧場に訪ねた。

 本馬は1992年12月にデビュー、4戦目に初勝利を挙げると、1993年12戦2勝、1994年13戦2勝、1995年9戦1勝とタフに走り続けた。7歳(現6歳)となる1996年5月、船橋競馬場に移籍すると、この年も16戦1勝と活躍した。8歳(現7歳)となる1997年7月、高知競馬場に移籍し、この年は14戦4勝の成績を挙げた。

 1998年、迎えた9歳(現8歳)シーズン、地元の四万十川特別を勝利して迎えた記念すべき第1回黒船賞(G3)、中央からやって来た強敵フジノマッケンオー、ストーンステッパーを破って見事に優勝、この勝利は本馬にとって初のグレードレース優勝だったが、それ以上に高知競馬所属馬初のグレードレース勝利として未だに語り継がれている。

 その後も高知競馬の重賞戦線では活躍し、1998年18戦3勝、1999年21戦3勝、2000年18戦1勝、2001年17戦1勝と長く活躍したが、地方競馬100戦目となる2002年3月4日のレースを最後に引退することとなった。通算成績144戦18勝(中央41戦5勝、地方103戦13勝)。『三国志』に登場し「一日に千里を駆ける」と言われた“赤兎馬”の名に恥じない素晴らしい活躍だった。

 引退後の2002年3月19日に土佐黒潮牧場へと移動してきた本馬であるが、「前々から引退後の余生はうちで過ごせるように、高知競馬場の関係者にはお願いしてありました。高知所属として黒船賞を勝ち、その時は競馬場の関係者が皆涙を流して喜んだと聞いていますから、そんな名馬を引き取ることが出来て嬉しかったですよ。」と濱脇さんは当時の喜びを語る。

 本馬が移動した当初は、BTC「引退名馬等のけい養展示」の助成対象馬は『中央競馬の重賞勝ち馬のみ』に限られていた。その為、余生の面倒を見る資金は、会員さんからの会費が中心だったが2007年より『地方競馬のダートグレード競走勝ち馬』まで対象が広がった。「(リバーセキトバが対象になったと)ふるさと案内所の担当さんから電話を頂いたのですが、収入面が楽になった事よりも、この馬の実績が認められたことが嬉しかったですね。」と濱脇さんは語る。2007年の第10回黒潮賞(G3)当日には、高知競馬場で本馬のお披露目が行われた。多くの高知競馬ファンから、本馬に温かい声援が送られたことも忘れられない出来事だそうだ。

 「この馬は温厚な性格で“仙人”のような佇まいですね。悪さしないし、人懐っこい、他の馬に威嚇されても引き下がらない芯の強さも持っています。器の大きな馬ですよ。」とベタ褒めする濱脇さんにとって、本馬はまさに『三国志』に出てくるような英傑なのだろう。この日は、北側パドックの一番奥に居た本馬だが、ちょろちょろ忙しそうに体を揺すっているエイシンガイモンに比べると、まさに“仙人”のような悟りの境地を感じさせた。

 土佐黒潮牧場は海に面した山合いの土地にある。敷地はアルファベットの「A」に似ている。「A」の横棒部分が「厩舎」だとすると、横棒(厩舎)の上に6つの「北側パドック」横棒(厩舎)の下に6つの「南側パドック」があり、「A」の左側は竹林、右側は森に囲まれている。その為、「北側パドック」は、厩舎と竹林、森の三角地帯に囲まれ、とても静かだ。「北側のパドックは、南にある海岸線の道路から車の音がするくらいで、馬にとってはこれ以上無い環境だと思いますよ。」と濱脇さん。

 本馬の他に、高知競馬所属でダートグレード競走を制した馬はいない。それほど、中央の壁は厚いが、近年、高知競馬所属の馬はダートグレード競走に果敢に挑戦するだけでなく結果も出しつつある。2009年の黒船賞(Jpn3)でフサイチバルドルが3着、東京スプリント(Jpn3)でポートジェネラルが4着に健闘している。土佐黒潮牧場で“仙人”のような暮らしをしている本馬の元に、「高知所属馬のダートグレード競走優勝」の吉報が届くことを期待したい。
取材班

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