馬産地コラム

あの馬は今Vol.61~シンボリルドルフ

  • 2009年12月07日
  • シンボリ牧場にて余生を過ごしているシンボリルドルフ
    シンボリ牧場にて余生を過ごしているシンボリルドルフ
  • 同

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 1985年11月24日 ジャパンカップ(G1)
  優勝馬:シンボリルドルフ

 神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世からその名をもらったというシンボリルドルフは、ニッポン競馬が大きな変革期を迎えたときに現れた開拓者だった。
 奇しくもシンボリルドルフがクラシック年齢に達した1984年は、日本に初めてグレード制が導入された年でもあった。この年は、ニッポン競馬がグローバルスタンダードに近づいた年として歴史に刻まれている。

 そして、先輩三冠馬ミスターシービーがドメスティックな部分を多く残したのに対して、シンボリルドルフは強く世界を意識した馬でもあった。厳寒期に行なわれる朝日杯3歳Sを無視するローテーションはそれまでの常識にくさびを打ち込むものだったし、極限まで無駄を省いた弥生賞(G3)~皐月賞(G1)~ダービー(G1)というレース選択は美の哲学すら感じさせるものだった。

 そんな精密機械のようなシンボリルドルフ陣営にほころびが見えたのは、三冠を目前に控えた3歳秋だった。菊花賞(G1)か、ジャパンカップ(G1)か。既成の権威か、新しい名誉か。それは、マスコミ、ファンをも巻き込んだ論戦に広がった。結果、陣営が選んだのは「両方」だった。史上初めて不敗のまま三冠馬になったシンボリルドルフは中1週でジャパンカップ(G1)に出走し、国内競走では唯一、連対を外すことになる。

 それから1年。
 シンボリルドルフは、雨中の東京競馬場でジャパンカップ(G1)の勝者になった。それは、シンボリルドルフが誕生する9年前、野平祐二騎手(当時)、和田共弘氏を中心として世界を目指したジャパンホースメンクラブの夢が現実になった瞬間でもあった。

 現在、シンボリルドルフは北海道日高町門別のシンボリ牧場で余生を過ごしている。28歳。サラブレッドとしてはかなりの高齢だが、いまだ衰えるところはない。「去年よりも、今年の方が体調が良いみたいです」と畠山和明場長が現状を語る。昨年の秋頃から馬房の中が嫌いになったようで、ほとんどの時間を放牧地で過ごしているというが、すこぶる体調は良さそうだ。

 「決して精密機械のような馬じゃなかった。ただ、競走というものを理解していたんだと思います」と本馬を評したのは全16戦の手綱を取った岡部幸雄さんだった。現役引退当日の中山競馬場で岡部騎手を振り落とさんばかりにみせたヤンチャぶりも、またシンボリルドルフそのものだったという。

 いま振り返れば、ニッポン競馬の変革期にミスターシービーとシンボリルドルフという対照的な2頭の三冠馬が出たことは不思議でならない。シンボリルドルフは、神に導き出された馬だったのかもしれない。
取材班