馬産地コラム

あの馬は今Vol.17~朝日杯・フジキセキ

  • 2006年12月12日
  • 社台スタリオンSに供用されるフジキセキ
    社台スタリオンSに供用されるフジキセキ
  • 同

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 1994年12月11日 朝日杯3歳S 優勝馬 フジキセキ

 「日本の生産界は、この10数年で大きく動きましたね」と言ったのは、日高を代表するブリーダーのひとり下河辺牧場の下河辺俊行社長だった。進む国際化と、バブルの崩壊。そして、何よりもサンデーサイレンスの爆発的成功が、日高を、日本の生産界を2極化していった。12年連続のチャンピオンサイアー。12世代連続G1勝馬の輩出。ほか、産駒の年間最多勝(328勝=平成16年)、産駒の年間最多重賞優勝(38勝=平成15年)、産駒の年間最多獲得賞金(92億2004万4000円=平成17年)などなど。もちろん、産駒の通算重賞最多賞(277勝=2006年11月終了時点)、産駒のG1競走最多勝(66勝。グレード制を導入した昭和59年以降=同)などの記録は、ブッチギリのトップ。現在も自身の記録を更新中だ。
 サンデーサイレンスの凄いのは競馬場での成績ばかりではない。市場において30頭以上の“ミリオンホース”を出して、有形無形の形で馬産地に貢献しつづけた。その恩恵を受けたか否かは、大きな差となった。
 そんなサンデーサイレンスフィーバーの先駆者となったのはフジキセキだった。
 
 サンデーサイレンス初年度産駒67頭の中の1頭としてデビューした彼は、新馬戦でやや出遅れながら8馬身差を付け、2戦目のもみじSはレースレコードの圧勝。そして暮れの中山競馬場、2歳チャンピオン決定戦にその勇姿をあらわした。
 レースは、出走馬10頭中5頭が2戦不敗という中味の濃いメンバー構成に相応しい壮絶なものになった。逃げるニッシンソブリンのインに潜り込んだフジキセキがコクトジュリアンとの競り合いを退けると、息つく間もなく武豊騎乗のスキーキャプテンが強襲してきた。1完歩ごとに差が詰まり、並んだ、と思った瞬間、再びフジキセキの黒い馬体がグイっと前に出た。小雨が降り続き、モヤに煙る中、そこだけスポットが当たっているかのような熱戦だった。
 その朝日杯から12年が経った。現在は、名実ともに日本一の陣容を誇る社台スタリオンステーションを支える1頭として、来るべき春に向けて体づくりに余念がない。取材日、放牧地は雪で覆われていた。器用に前脚で雪をかきながら、その下に残っている草を噛んでいた。隣のリンカーンやデュランダルがせわしなく動き回ってもどっしりと構えるのは風格だ。
 「いろいろな意味でサンデーサイレンスの優秀性を証明した馬でしたね。若いうちは南半球にシャトルしたりと大変だったでしょうが、これからは日本で頑張って欲しいですね」とスタリオンスタッフも目を細めている。まだ14歳。種牡馬としては、まだこれからという年齢だ。「今年はドリームパスポートが距離延長を克服してくれました。まだまだ可能性は広がると思います」と期待に胸を膨らませている。

            日高案内所取材班