馬産地コラム

あの馬は今Vol.27~ダービー・シンボリルドルフ

  • 2007年06月04日
  • 今のシンボリルドルフ
    今のシンボリルドルフ
  • 同

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1984年5月27日 第51回日本ダービー  優勝馬シンボリルドルフ

 時代が変わりつつあることを嫌がおうにも認めざるを得ない、そんな空気が流れていた。3年前、第1回ジャパンCが開催され、この年からグレード制が導入された。競馬の世界もゆっくりとだが、でも確実に「国際社会への仲間入り」というテーマに向けてサークル全体が動き出していた。
 「1000mの新馬戦で1600mの競馬を経験させ、1600mのレースで2400mのレースをさせた」と野平祐二調教師が公言していたシンボリルドルフ。師が、翌年のクラシック戦線を見据えて選んだローテーションは、従来の日本の常識からは考えられない「2歳時には朝日杯3歳Sも含めて重賞を使わない」というものだった。馬に能力があり、レースというものを教え込めばキャリアは関係ない、とばかりに年明けの始動は弥生賞から。ここで4連勝中のビゼンニシキを突き放して重賞初勝利を飾ると、皐月賞も直線で食い下がったビゼンニシキをゴールでは再び突き放した。
 そして迎えたダービー。晴れ、良馬場の発表とはいうものの芝は剥げ、土の部分がむき出しになっていた。大外枠から出た大崎騎手騎乗のスズマッハが1コーナー過ぎからハナにたってペースをつくる。スローペースに落とすわけでもなく、またハイラップを刻むわけでもない。巧みに愛馬を操りながらライバルたちのスタミナを奪っていく絶妙のペース配分だ。出走全馬が金縛りにあったような膠着したレースを打ち破ったのは、やはりシンボリルドルフだった。直線に向くと末脚を爆発させて楽々と先頭でゴールを駆け抜けた。世界を意識し続けた陣営が始めて手に入れた最強馬誕生の瞬間でもあった。
 
 それから23回目の夏がやってきた。26歳になったシンボリルドルフは門別のシンボリ牧場で悠々自適の生活を送っている。張りのある体に衰えはなく、足取りもしっかりしている。一足早くついた見知らぬ訪問者が向けるカメラに対しては背を向けていたシンボリルドルフが、苦楽をともにしてきた畠山場長の姿を感じ取ると甘えた表情で近づいてきた。
 「もちろん、ウチにとっては宝物ですが、こういうレベルの馬は授かりものだと思っています」と畠山場長が目を細める。今でも多くのファンが再会を楽しんでいくというが、現役時代を知る年配の方ばかりではなく若い人たちも多く混じっているという。「ディープインパクトのような馬が出ると、現役時代を知らない世代の人もどんな馬なんだろうって思うようですよ」と嬉しそうに顔をクシャクシャにした。
 名馬は、名馬を育て、人を育てる。シンボリルドルフの神々しいまでの存在感は、他のどの馬にも感じ得ない。今の時代だからこそ、シンボリルドルフは必要なのだ。

                 日高案内所取材班