追悼~ステイゴールド
あらゆる生物にとって「誕生」とともに避けることができないもの。それがいつの日か訪れる「死」だ。
現役時代は香港ヴァーズ(G1)を制し、種牡馬として3冠馬オルフェーヴルや宝塚記念(G1)連覇のゴールドシップなどを送り出してきたステイゴールド(父サンデーサイレンス)が5日、大動脈破裂のために北海道苫小牧市の社台ホースクリニックで死亡した。21歳だった。
「狂気の馬」といわれることが多い。ふるさと案内所でも見学に際して注意を呼びかける1頭だったのかもしれないが、ブリーダーズ・スタリオン・ステーションやビッグレッドファームの放牧地でみるステイゴールドは、決して狂気の馬なんかではなかった。
たしかに、ときおり見せる脚蹴りのスピード、一瞬の身のこなしなどには目を見張るものがあったが、いつもゆっくりと放牧地全体を歩き回っている、そんな印象が強い。
もちろん、直接触れたことはないが、馬房から顔をのぞかせるとき、あるいは放牧中に牧柵沿いに至近距離まで近づいても、攻撃的なアクションを取られたことは一度もない。「馬は、安全で快適な環境を望む動物」そんなことを聞いたことがある。ステイゴールドにとっては放牧地や馬房は、安全で快適な場所だったのかもしれない。
デビュー前から期待の大きな良血馬だったが、デビュー3戦目に逸走を記録するなど初勝利は3歳5月。そこから4戦のうちに3勝を記録して菊花賞(G1)にまで駒を進めている。しかし、そこからは惜敗を続けシルバーコレクター、ブロンズコレクターというありがたくないニックネームをもらうことになる。準オープン特別を勝てなくても重賞2着。重賞を勝てなくてもG1競走で2着。強いのか、弱いのか良くわからないまま競走キャリアを重ね、重賞初勝利は6歳春の目黒記念(G2)。トップハンデを背負い、そして1番人気に応える圧勝劇だった。その後、持ち前の堅実性を失いスランプのような時期もあったが、G2時代のドバイシーマクラシック(G2)に勝ち、香港ヴァーズ(G1)優勝で国際G1勝馬の仲間入りを果たしている。
種牡馬入りする際、小柄な体が嫌われたとも言われたが当時の場長は「世界的に成功している種牡馬ってみんな小柄なんですよね」と意に介さない様子で、実際、初年度から多くの繁殖牝馬に恵まれた。そして順調にキャリアアップを重ねてドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップと驚くような潜在能力を持つ馬を多く輩出して日本を代表する種牡馬となった。とくに凱旋門賞(G1)2着3回という実績は、他の日本けい養種牡馬を圧している。その矢先だけに関係者のショックは計り知れない。
今は、残された産駒の活躍と、彼が遺した種牡馬たちの活躍、繁栄を期待したいと思う。そして思う。いつの日か、日本の馬がフランスの凱旋門賞(G1)に優勝する日が来るならば、それはステイゴールドの血を引く馬であって欲しいと。