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追悼~タケノベルベット

  • 2014年03月03日
  • 亡くなったタケノベルベット(2011年3月撮影)
    亡くなったタケノベルベット(2011年3月撮影)
  • イーハトーヴオーシャンファームで余生を過ごしていた頃のタケノベルベット(2011年3月撮影)
    イーハトーヴオーシャンファームで余生を過ごしていた頃のタケノベルベット(2011年3月撮影)

 白老町のイーハトーヴオーシャンファームで余生を送っていた1992年のエリザベス女王杯(G1)優勝馬タケノベルベットが、2月28日、死亡した。25歳を迎えても元気いっぱいだったが、馬房内で寝起きの際に足元をひねって左後脚を骨折したための安楽死だったという。

 同ファームの歌代場長は「長く功労馬の世話をさせてもらっていますが、骨折は自分にとっても初めてのことでした。見た目は元気でしたが、やはり年齢的なこともあって骨がもろくなっていたのかもしれません。タケノベルベットが移動してちょうど3年になりますが、もっと長生きしてくれると思っていたのに残念でなりません」と言葉少なに語ってくれた。

 タケノベルベットは、父パドスール、母タケノダンサー(母の父チャイナロック)という血統。静内町の武岡牧場の生産馬で、馬主は武岡大佶さん。半姉には桜花賞馬のリーゼングロスや最優秀3歳牝馬マーサレッドがいる血統だ。

 現役時代は栗東の小林稔厩舎に所属し11戦5勝。この年、同じ小林稔厩舎にはオークス馬アドラーブルがいたために春シーズンは無理をさせずに条件戦で力を付けていった。それでもエリザベス女王杯(G1)は4か月半の休み明け。直前になってオークス(G1)3着のキョウワホウセキが出走を回避したことで転がり込んできた出走権だった。それまで先行力をいかした競馬をしていたタケノベルベットを初騎乗の藤田騎手は巧みに抑え込み、向こう正面では後方待機。3コーナーの下りで加速すると一気に先行グループにとりつき、さらに加速して2着メジロカンムリに3馬身半差でゴールした。3着にはハナ差で桜花賞馬ニシノフラワーが入り、アドラーブルは4分の3馬身差遅れた4着。春の既成勢力を問題にしない力強い走りだった。本格化したタケノベルベットは続く鳴尾記念(G3)で牡馬を一蹴。年明けの日経新春杯(G2)は3着だったが、続く阪神大賞典(G2)でメジロパーマーを半馬身差まで追い詰める2着と長距離戦線で牡馬と渡り合った。

 現役引退後は生まれ故郷の武岡牧場で繁殖牝馬となったが、思うような産駒に恵まれずヴェロア(牝7歳)が最後の産駒となり、2011年3月からイーハトーヴオーシャンファームで余生を過ごしていた。

 歌代場長は「気の強い馬でしたが、本当に賢い馬で自分が今、何をすべきかを理解しているような馬でしたから、放牧地では仲間とのんびり過ごすことが多かった馬です。もっと長生きをしてほしかったですが、これも運命だったのかもしれません。冥福を祈りたい」と話してくれた。