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追悼~トウカイテイオー

  • 2013年08月31日
  • トウカイテイオー(2011年9月撮影)
    トウカイテイオー(2011年9月撮影)
  • トウカイテイオー(2011年9月撮影)
    トウカイテイオー(2011年9月撮影)
  • トウカイテイオー(2011年9月撮影)
    トウカイテイオー(2011年9月撮影)

 8月30日午後、社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送っていたトウカイテイオーが急性心不全のために亡くなった。前日まで、というよりも当日の朝もいつもと変わらない様子だったそうで、スタリオンスタッフにとっても事務局にとっても、まさに晴天の霹靂。気がついたら、馬房の中で倒れていたそうだ。

 数年前からスタリオンに新設された厩舎と放牧地を自由に行き来できる放牧地に移動。閑静な環境で元気に過ごしていると聞いていただけに訃報を聞いたときは驚いたが、改めて考えれば25歳。今年も2頭の繁殖牝馬に配合したそうで、生涯現役を貫き通しての大往生に、帝王としての生き様を見たような気がする。

 オーナーが所有するオークス馬トウカイローマンに配合しようと入手したシンボリルドルフの種付権利。トウカイローマンの現役続行により“代役”に抜擢されたのがトウカイローマンの1歳年下の半妹で未出走馬トウカイナチュラルだった。そこからトウカイテイオーの物語はスタートする。

 レースキャリアに関しては、ほぼ完璧だった父には及ばなかったものの、父にはないドラマがいくつもあった。三冠馬シンボリルドルフの初年度産駒にして、不敗の2冠馬。血統が持つドラマと、強さと美しさは多くのファンを魅了した。3度の屈辱的な敗戦と、2度の復活劇。これらについては他稿に任せるとして、種牡馬としてもトウカイポイント、ヤマニンシュクル、そしてストロングブラッド。芝で、ダートで。牡馬で、牝馬で。2歳で、古馬でG1ウイナーを残したほか、現役引退後も社台スタリオンステーションの見学用放牧地でファンの目を楽しませてくれたほか、東京競馬場や函館競馬場でファンとの再会を果たしている。

 「本当の意味で期待に応えられたかどうかわかりませんが、競馬サークルにたくさんのものを残してくれた馬だと思います」と社台スタリオンステーションの徳武英介さんは、そう表現した。

 とくに思い出すのは、若葉ステークスのパドックだ。関東初見参となった関西の秘密兵器を見に中山競馬場へと足を運んだ。このときはあいにくの曇り空だったと記憶しているが、美しい鹿毛の馬体。やや薄手で脚長タイプながらも、すっと伸びたクビがとくに印象に残っている。そして、その頼りなさを感じさせる馬体から繰り出されるスピードとパワーに圧倒された。

 もっとも驚いたのは4歳春。テレビでみた大阪杯(G2)のパドックだ。ダービーから10か月ぶりのこのレースはプラス20キロ。華奢だった3歳春のイメージはなく、重厚で厚みを帯びた馬体に圧倒された。

 種牡馬となってからはマイネルソロモン。重賞勝馬として代表産駒にその名を残すことはできなかったが、この馬は新馬、特別、そしてプリンシパルSと不敗のままダービー(G1)まで駒を進めて、大きな夢を見せてくれた。

 最後にトウカイテイオーを見たのは2010年の秋。馬場馬術のように前脚を高くあげる独特な歩様と、あの美しい瞳、そして額に流れる流星は今も瞳の奥に焼き付いている。
 美しすぎるサラブレッドは、多くの人の記憶の中で永遠に生き続けることだろう。