馬産地ニュース

ファストトパーズが死亡

  • 2013年08月30日

 また1頭、サンデーサイレンスと同期輸入種牡馬の訃報が届けられた。

 JBBA日本軽種馬協会静内種馬場で余生を送っていたファストトパーズが29日、老衰のために死亡した。30歳だった。

 同馬は、父ファーノース、母ピンクトパーズ(母の父ジャカオ)という血統の米国産馬。イスパーン賞(G1)2連覇で本邦輸入種牡馬クリスタルグリッターズや2005年のブリーダーズCスプリント(G1)優勝馬シルヴァートレインのオーナーでも知られる米国のバックラムオークファームのマームード・フストク氏による所有馬で、現役時代はフランスのG.ミカリデス厩舎に所属して2~3歳時に通算5戦4勝3着1回。

 2歳11月にG1レース昇格前の「クリテリウムド・サンクルー」(仏G2、芝2000m)でデビュー。このレースを4馬身差で快勝すると年内は休養に入って、3歳シーズンは仏2000ギニーの前哨戦フォンテンブロー賞(仏G3、芝1600m)から始動。鞍上にC.アスムッセン騎手を配して、ここを楽勝すると断然の人気を集めて仏2000ギニーことプール・デッセ・プーラン(仏G1、芝1600m)に駒を進めた。

 折からの雨により不良馬場で行われたこのレース。英国2000ギニートライアルS優勝馬ザーダムやジュベル賞優勝のハイエストオナーら8頭の争いになったが、中団を進んだファストトパーズが直線で鋭く脚を伸ばし、2着ハイエストオナーに1馬身半の差をつけてて優勝し、1着賞金70万フラン(当時の邦貨で約1680万円)を獲得した。勝ち時計は1分48秒3。欧州は時計にはこだわらないとはいえ、コースレコードよりも13秒4遅い決着の勝利だった。

 3戦3勝でG1ウイナーの仲間入りを果たしたファストトパーズは、このあとリュパン賞(仏G1、芝2100m)にも勝って凱旋門賞に名乗りをあげたが、秋初戦のプランスドランジュ賞(G3)3着を最後に現役を引退した。

 日本では1991年から日本軽種馬協会静内種馬場に種牡馬生活をスタート。この年はサンデーサイレンス(米年度代表馬)はじめアサティス(伊G1ジョッキークラブ大賞)アジュディケーティング(米G1シャンペンS)イブンベイ(愛G1セントレジャー)カコイーシーズ(米G1ターフクラシック)キャロルハウス(仏G1凱旋門賞)クリエイター(仏G1ガネー賞)ジェイドロバリー(仏G1グランクリテリウム)シェリフズスター(英G1コロネーションC)スターリフト(仏G1ロワイヤルオーク賞)ダイヤモンドショール(仏G1サンクルー大賞)トロメオ(米G1バドワイザーミリオン)バイアモン(仏G1ガネー賞)フレンチグローリー(米G1ロスマンズインターナショナル)ペイザバトラー(G1ジャパンカップ)ボーザム(豪G1AJCダービー)マークオブディスティンクション(英G1クインエリザベス2世S)ルション(仏G1ムーランドロンシャン賞)といった海外の輸入種牡馬ほかオグリキャップ、イナリワン、アイネスフウジン、ウィナーズサークル、スーパークリークらが揃ってスタッドインを果たした年。ファストトパーズは初年度に50頭、供用2年目に62頭の繁殖牝馬を集めたが、種付希望は減少。96年から胆振種馬場に、98年からは下総種馬場へと移動したが、こうした傾向に歯止めはかからず、2007年に種牡馬生活を引退。以降は同協会那須種馬場で余生を送っていた。主な産駒には菜の花S(OP)を勝ち、皐月賞(G1)4着のマイネルタンゴほか南関東・浦和ゴールドC3着のジョウテンファストや茨城新聞杯優勝のセンゴクライナーらがいる。

 中西信吾場長は「年齢相応に衰えは見せていましたが、この春は元気に放牧していました。ここ数日、少し歩様がみだれてきましたので注意深く見守っていましたが、静かに息を引き取りました。年齢的には大往生だと思います。よく頑張ってくれました。安らかに眠ってほしい」と言葉少なくコメントした。