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キャプテンスティーヴが死亡

  • 2013年04月24日
  • 亡くなったキャプテンスティーヴ
    亡くなったキャプテンスティーヴ

 JBBA九州種馬場にけい養されていたキャプテンスティーヴ(父フライソーフリー、母スパークリングディライト、その父ヴァイスリージェント)が21日午前10時すぎ、急性心不全のために死亡した。前日まではまったく普通にすごし、この日も種付けに備えて、ウォーキングマシンで運動していたときに突然倒れたという。あまりに突然だったために関係者は戸惑いの色を隠しきれない。まだ16歳。九州地区での再出発を誓い、同地区の生産者には「見栄えのする馬体で、種付けも上手」と高い評価をいただき、その言葉どおりに今年も順調に13頭ほどの繁殖牝馬を相手に種付けをこなしていた矢先だっただけに残念というほかない。

 キャプテンスティーヴといえば、2001年ドバイワールドカップ(G1)の優勝馬だ。このレースには、日本からトゥザヴィクトリーとレギュラーメンバーが参加していたが、まったく人気がなかったトゥザヴィクトリーが懸命に逃げ粘ろうというところ、あっさりと交わして3馬身突き放したのがキャプテンスティーヴだった。そのパワーとスピードの前に、不思議と悔しいという感情が湧き起らなかったことを覚えている。

 現役時代のキャプテンスティーヴは、いつも一生懸命に頑張る馬だった。25戦9勝。重賞7勝で、うちG1レースは4つ。デビュー戦を除けば、5着以下に敗れたのは2歳時のブリーダーズカップジュヴェナイル(G1)と、米国競馬の最高峰ケンタッキーダービー(G1)の2回だけ。2着3回3着7回。それはキャプテンスティーヴにとっての勲章だったかもしれない。

 2歳時のハリウッドフューチュリティ(G1)から3年連続G1制覇。長く、タフに活躍した競走馬だった。

 日本輸入後も、12年間で400頭以上の牝馬に配合し、300頭近い競走馬を送り出してくれた。その中には、かつてドバイでしのぎを削ったトゥザヴィクトリーの全妹ビスクドールとの間に生まれたアイスドールの名も見える。この馬はエニフSに勝ち、船橋競馬場で行われる交流重賞のクイーン賞(Jpn3)で3着。現在は繁殖牝馬として、ロマンあふれる血を伝えている。残念ながら、今のところキャプテンスティーヴの産駒でJRAでの重賞勝馬はいないが地方競馬では数々の重賞勝馬を送り、日本の馬産に大いに貢献してくれた。

 来年、どれほどの産駒が生まれるかは未知数だが、残された産駒の活躍を期待したい。