馬産地ニュース

ハギノカムイオーが死亡

  • 2013年04月12日
  • ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
    ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
  • ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
    ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
  • ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
    ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
  • ハギノカムイオー(2009年11月撮影)
    ハギノカムイオー(2009年11月撮影)

 新ひだか町三石の本桐牧場で余生を送っていたハギノカムイオーが10日、老衰のために死亡した。前日まで、それまでと変わらない様子で、元気に過ごしていたというが、34歳と10日。シンザンが持つサラブレッドの長寿記録まで1年と約3か月まで迫ったが、その潔さもまたハギノカムイオーらしいところだったのかもしれない。

 ハギノカムイオーは父テスコボーイ、母イットーという血統。浦河町の荻伏牧場の生産馬で、当歳秋に行われた「日高秋家畜市場サラ系当歳」において、それまでの日本のサラブレッド市場レコード(5000万円)を大きく超える1億8500万円で取引されて大きな話題となった馬だ。

 デビューは3歳1月の京都競馬場芝1600m戦。「ロマンは男の代名詞」そんな横断幕が張られたパドックを456キロの鹿毛馬は堂々と周回し、そして当たり前のように勝った。当時、関西エリアのレースを関東地区で見ることは出来なかったのだが、この新馬戦だけは、馬券を発売していない関東地区の場外馬券発売所にも実況中継が流された。このときの勝ち時計は1600m1分36秒8。これは、3週間前に同じコースで行われた重賞の「シンザン記念」とまったく同じというのも話題になった。

 3連勝で挑んだ皐月賞は次々に競りかけられる展開になって惨敗。ダービーを断念せざるを得ない状況になり、秋の菊花賞も距離の壁に泣いたが、古馬になって宝塚記念をレコード勝ちして溜飲を下げた。

 この勝利は、挫折を味わった生まれながらのスターが、実力でつかんだ栄光だった。通算成績は14戦8勝。うち重賞6勝。

 種牡馬として、その良血を後世に伝えることはできなかったが、記憶にも、記録にも残る名馬だった。

 思い出すのは、放牧地で自分の腰のあたりを噛む癖だ。いわゆる“身っ食い”ではなく、体の柔らかさをアピールするためのストレッチにも見えた。寝ころぶのが大好きで、担当スタッフを、いつも苦笑いさせていた。そんなハギノカムイオーを本桐牧場の人たちは大好きだったし、誇りに思っていた。そんなシーンに立ち会えたことも、嬉しい思い出のひとつだ。

 本桐牧場のホームページには「一日一日を大事に過ごすハギノカムイオーには希望と元気を頂きました。今日まで道内外から沢山の方に訪問して頂きまして感謝を申し上げます。ファンの皆様ありがとうございました」と記されている。ありがとうございましたという言葉を、ハギノカムイオーに届けたい。