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マイシンザンが死亡

  • 2013年03月21日
  • マイシンザンがいた馬房
    マイシンザンがいた馬房
  • 在りし日のマイシンザン
    在りし日のマイシンザン
  • 在りし日のマイシンザン
    在りし日のマイシンザン
  • 同クラブからは富士山が見える
    同クラブからは富士山が見える

 1993年のNHK杯(G2)、そして1995年の朝日チャレンジカップ(G3)に勝ったマイシンザン(23歳、父ミホシンザン、母ファイブソロン、母の父パーソロン)が3月16日、功労馬として余生を送っていた静岡県富士宮市の乗馬クラブEQUINE-HOLICで腸捻転のために死亡した。

 同馬は新冠町の武田牧場の生産馬。2歳12月に栗東の山本正司厩舎から阪神競馬場でデビューした。500キロを超える大型馬で、初戦はゲートのタイミングがあわずに2着と敗れたが、折り返しの新馬戦を9馬身差の逃げ切り勝ち。父ミホシンザン、祖父シンザンと3世代連続優勝を狙った皐月賞(G1)は、レコード勝ちしたこぶし賞後に腰を痛めるアクシデントの影響もあって見せ場なく敗れたが、豪快な追い込みを武器に当時ダービートライアルだったNHK杯(G2)に勝利して重賞初制覇を記録した。4番人気で出走したダービー(G1)は勝馬ウイニングチケットからコンマ6秒差の5着。

 その後は脚部不安により1年4か月に及ぶ長期休養などを経験しながら、11か月ぶりの出走となった5歳秋の朝日チャレンジカップ(G3)をレコードタイムで優勝。高い能力を垣間見せながらも持病の屈腱炎に勝てずに5歳秋の天皇賞(秋)(G1)の出走取消を最後に通算12戦4勝(重賞2勝)で引退。1997年から新冠町のCBスタッドで種牡馬となった。

 残念ながら種牡馬としては配合牝馬に恵まれず、2003年に門別町の「名馬のふるさとステーション」へ移動。同施設閉鎖後はEQUINE-HOLICで余生を過ごしていた。

 同クラブの本多敏江さんは「名馬のふるさとステーション時代を含めると約10年。私たちにとって特別な存在でした。とてもプライドの高い馬で、誰でも扱えるという馬ではなかったのですが、時間をかけて心を通わせるなかで信頼関係を築いていけたと思っています」と言葉少なに思い出を語ってくれた。「23歳でしたが、元気な馬だっただけにもう少し長く付き合っていたかったです」。

 同クラブでは、マイシンザンが好きだったという富士山が見える窓際に献花台を設置して同馬の冥福を祈っている。

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