追悼~アドマイヤグルーヴ
名馬の死は、いつも痛ましい。
それが、若くて将来性の高い馬ならば、なおさらだ。
10月15日、エリザベス女王杯(G1)2連覇のアドマイヤグルーヴが繁殖牝馬として生活していた北海道勇払郡安平町のノーザンファームで死亡した。死因については明確にされていないが、解剖所見で胸部に出血が認められたという。母エアグルーヴ、そして祖母ダイナカールと3代続くG1(級)勝馬の名門ファミリー。毎年多くの産駒を残せる種牡馬と異なり、繁殖牝馬は多くても1頭しかチャンスを与えられない。そのうち牝馬は約半数。牝馬による3世代連続G1勝利は、天文学的確率といっても大げさではない。アドマイヤグルーヴは、日本の生産界にとっては宝物のような存在だった。残念というほかない。
この馬のレースにはいつもドラマがあった。体調不良に悩まされた3歳春。しかし、3歳秋のエリザベス女王杯(G1)では同期の三冠牝馬を力でねじ伏せ、4歳秋には圧巻の末脚を披露した。それでも、もっとも印象に残っているのはラストランになった阪神牝馬S(G2)だ。2歳年下の桜花賞馬ラインクラフトに1番人気こそ譲ったものの、レースでは貫禄を見せた。おそらく、全盛期の力はなかったと思う。しかし、このレースは馬のプライドを守ろうとした陣営の気持ちが、テレビの画面からも伝わってくるような1戦でもあった。
そんなアドマイヤグルーヴには競馬場以外で2度ほど会ったことがある。1度目は2000年7月10日。セレクトセール会場。そして2度目は現役生活を引退後、ノーザンファームで取材させてもらった。
ノーザンホースパーク内に設置された特設会場の異様な雰囲気は12年経った今でも鮮烈だ。上場番号33番。「エアグルーヴの2000」が登場するや会場が静まり、鑑定人の「7000万円からお願いします」の声に対するどよめきは「1億」「1億5000万円」という矢継ぎ早にかかるスポッターの声にかき消された。その間、わずかに2~3秒だったと記憶している。結果、2億3000万円で落札。これはセレクトセール史上の最高価格であり、また牝馬としても史上最高額。日本のせり史上でも4番目という高額落札馬となった(いずれも当時)。
2度目は繁殖牝馬になってからだった。季節は夏の終わり頃だという記憶しかないが、気高く、気品にあふれた雰囲気に魅了された。2007年に初仔を生んでから、6年連続で出産。その産み分けも牡馬3頭、牝馬3頭と見事なものだった。
残された夢は、まだ潰えていない。デビューを待つ1歳にはキングカメハメハを父とする牝馬が、そしてこの春は同じキングカメハメハとの間に牡馬を出産している。残された産駒の活躍を期待したい。