馬産地ニュース

サクラチヨノオー、ルーブルアクトの合同慰霊祭が行われる

  • 2012年04月26日
  • 桜舞馬公園で行われた合同慰霊祭
    桜舞馬公園で行われた合同慰霊祭
  • 馬魂碑に手を合せて冥福を祈るサクラチヨノオーの全尚烈オーナー
    馬魂碑に手を合せて冥福を祈るサクラチヨノオーの全尚烈オーナー
  • 愛馬ルーブルアクトに最期の別れを告げる豊島住夫・弘子オーナー
    愛馬ルーブルアクトに最期の別れを告げる豊島住夫・弘子オーナー
  • 桜舞馬公園に建立されたサクラチヨノオーの墓石
    桜舞馬公園に建立されたサクラチヨノオーの墓石
  • ルーブルアクトの墓石には「いつまでも ともに」と刻まれた
    ルーブルアクトの墓石には「いつまでも ともに」と刻まれた

 4月25日、新ひだか町静内の二十間道路沿いにある桜舞馬公園(オーマイホースパーク)において、サクラチヨノオー、ルーブルアクトの合同慰霊祭が行われた。

 慰霊祭は公園内に両馬の墓石が建立されたのを機に執り行われたもの。サクラチヨノオーの全尚烈オーナー、生産した谷岡牧場の谷岡康成社長、シンジケート会長を務めた服部和則さん、最期を看取った新和牧場の谷岡毅社長、ルーブルアクトを所有した豊島住夫・弘子オーナー、生産したヒダカファームの近藤聡明社長、種牡馬管理をしたアロースタッドの本間一幸主任、両馬の事務局だった(株)ジェイエス職員、西村和夫静内軽種馬生産振興会長ら関係者が参列し、馬魂碑の前で2頭の功績を讃えるとともに冥福を祈った。

 馬魂碑や墓石を管理する西村振興会長は「2頭はそれぞれ個性があって、現役時代は競馬産業に、種牡馬になってからは、この二十間道路のスタリオンに繋養され、さまざまな形で多くの生産者に貢献されてきました。この公園には多くの種牡馬や繁殖牝馬の碑があり、たくさんのファンが思い出を語りに集う場所でもあります。建てられた墓石はこれから永遠に管理していくことを約束します」と挨拶。

 両馬の関係者を代表して挨拶したルーブルアクトの豊島住夫オーナーは「種牡馬としての幸せは多くの子孫を残すことですが、日常生活を穏やかに過ごすことも大事だと思います。ルーブルアクトはオーナーの力不足で活躍馬を出せませんでしたが、会いにきたときは笑って近寄って頬擦りしてきたりして、とても幸せそうな日々を過ごしていると感じました。ルーブルアクトが過ごした二十間道路の地に墓石を建てることを許していただきありがとうございました」と愛馬の思い出を語り、参列者の涙を誘った。

 サクラチヨノオーは父マルゼンスキー、母サクラセダン、母の父セダンという血統。現役時代はサッカーボーイ、ヤエノムテキ、メジロアルダンらと鎬を削り、1988年のダービー(G1)、弥生賞(G2)、1987年の朝日杯3歳S(G1)などを制した。

 1990年に静内町(現新ひだか町)の静内スタリオンステーションで種牡馬入り。マルゼンスキーの後継として、1999年の東海ウインターS(G2)など重賞3勝を挙げたマイターン、1997年の愛知杯(G3)を制したサクラエキスパート、1994年の皐月賞(G1)2着馬サクラスーパーオーなどを送り出した。

 2001年シーズンを最後に種牡馬を引退。その後は、新ひだか町の新和牧場へ移り、功労馬として余生を送っていたが、今年1月7日に老衰のため27歳で生涯を終えた。

 ルーブルアクトは父ラシアンルーブル、母ヒダカアクト、母の父ファバージという血統。トウカイテイオー、レオダーバン、ヤマニンゼファーらと同期で、現役時代は1993年の鳴尾記念(G2)など通算39戦6勝の成績を残した。

 現役引退後は豊島オーナーが引き取り、新ひだか町のアロースタッドで種牡馬入り。1996年から2008年までに9頭の産駒を残し、デビューした6頭から4頭が勝ちあがった。アロースタッドの古参種牡馬として、オーナーやファン、スタッフから大事にされ種牡馬生活を送っていたが、昨年11月17日に放牧中の事故により23歳で死亡した。