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シリウスシンボリが死亡

  • 2012年04月10日
  • シリウスシンボリ(2011年5月撮影)
    シリウスシンボリ(2011年5月撮影)
  • シリウスシンボリ(2011年5月撮影)
    シリウスシンボリ(2011年5月撮影)
  • シリウスシンボリ(2011年5月撮影)
    シリウスシンボリ(2011年5月撮影)

 1985年のダービー馬シリウスシンボリが4月8日、繋養先だった日高町の沖田牧場で死亡した。30歳、大往生だった。

 シリウスシンボリは父モガミ、母スイートエプソム、母の父パーソロンという血統の鹿毛の牡馬。同期にはミホシンザン、スクラムダイナ、サクラユタカオーなどがいる。

 競走成績は旧3歳~7歳時国内12戦4勝、海外14戦0勝。ダービー(G1)優勝後は欧州に渡り85年ロイヤスオーク賞(仏・G1)3着、86年フォワ賞(仏・G3)を2着と健闘。同年の凱旋門賞(仏・G1)にも挑戦したが、ダンシングブレーヴの14着に敗れた。87年に帰国するも日本で勝利をあげることはできず、88年の天皇賞(秋)(G1)7着を最後に現役を引退した。

 現役引退後は日高町のブリーダーズスタリオンステーションへ種牡馬入りを果たし、96年の京都4歳特別(G3)2着馬オーシャンカレントなどを送り出したのち、96年シーズンの種付けを最後に種牡馬を引退。当時種牡馬シンジケート会の会長を務めていた沖田正憲さんに引き取られ、沖田牧場で余生を過ごしていた。

 獣医師でもある沖田社長は「1年程前から加齢が進んでいる傾向はありましたが、特別悪いところもなく年相応でした。飼葉もしっかり食べていたし、30 歳の誕生日を迎えても元気で、丈夫な馬だなと感心していたところだったんです。亡くなる日の夕方、馬房内で脚元がおぼつかないような状態になり、それでも気丈に振る舞っていたのですが午後10時頃静かに息を引き取りました。ファンの多い馬でしたから、本当に残念です」と話すその顔には、長年ともに歩んで来た相棒を失った寂しさを滲ませていた。

 現役時は激しい気性で知られていたが、晩年は小さい子供にも顔を預けて甘えるような良いお爺ちゃんになっていたというシリウスシンボリ。改めて冥福を祈りたい。