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追悼・セイウンスカイ

  • 2011年08月17日
  • 生前のセイウインスカイ~2009年撮影
    生前のセイウインスカイ~2009年撮影
  • 生前のセイウンスカイ~2009年撮影
    生前のセイウンスカイ~2009年撮影

 ほとばしる情熱を前面に押し出し、まるで1戦1戦に命の灯をともすかのようなレースを続けたセイウンスカイが死んでしまった。16歳。クラシックを争ったスペシャルウィークやキングヘイローに比べると恵まれた種牡馬生活だったとは言い難いが、生まれ故郷の西山牧場でスタッフやオーナーから大きな愛情に包まれて幸せな一生だったと思う。

 型にはまるのを好まなかった。好位から抜け出したこともあったし、大逃げを打ったこともある。ため逃げもあった。後方待機から向こう正面で一気に脚を使ったこともあった。

 ただ、それは駆け引きや、相手にあわせた戦法ではなかった。

 セイウンスカイのレースはセイウンスカイのためだけにあった。

 大きな期待とともに輸入されながらも活躍馬を残せなかった祖父のポッセ。父のシェリフズスターはセイウンスカイがデビューする頃にはすでに用途変更され、良血の母とはいえ未出走馬。そんなファミリーの不運を払拭するかのようにセイウンスカイは走り続けた。完璧だった皐月賞(G1)。京都大賞典(G2)は春の天皇賞馬と前年のグランプリホースを相手に堂々の逃げ切り勝ち。そして、菊花賞(G1)は世界レコードでダービー馬を置き去りにした。

 しかし、そんなセイウンスカイのレースは、少しずつではあるが確実に自身の体を蝕み、輝きを奪っていった。それは、怖いもの知らずのやんちゃなガキ大将が、いつの間にか痛みを知り、哀しみを覚えていくのに似ている。

 最後のレースは1年半ぶりの実戦となった天皇賞(春)(G1)。勝馬から15秒8離された大惨敗もまた、セイウンスカイらしいといえばらしかったのかもしれない。

 札幌競馬場のターフの上で行われた引退式。「種牡馬として例え10打数1安打でも、その1安打が特大ホームランであって欲しい」というオーナーの願いは叶わなかったが、現役生活を終えたあとでもセイウンスカイはファンに愛され続けた。競馬場での引退式を終え、そのまま静内町(現新ひだか町)のアロースタッドへと向かうセイウンスカイの馬運車の後ろには多くのファンが運転する車が続き、到着を待つアロースタッドでは見学時間を延長して200人を超えるファンとともに同馬を迎えた。

 あの引退式は2001年8月19日だった。ちょうど10年後に3日ほど足りなかったが、札幌記念(G2)が行なわれる週に突然の別れを告げたセイウンスカイ。死して血を残す馬もいるが、潔すぎるその最期はある意味でセイウンスカイに似つかわしいのかもしれない。

 20世紀最後の個性派に合掌。