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追悼~サニーブライアン~

  • 2011年03月04日
  • サニーブライアン 2010年11月撮影
    サニーブライアン 2010年11月撮影
  • サニーブライアン 2010年11月撮影
    サニーブライアン 2010年11月撮影

 最後の最後まで人を驚かせるのが好きな馬らしい。

 北海道浦河町の優駿ビレッジAERUで余生を送っていたサニーブライアンが死んでしまった。まだ、17歳になったばかり。同じ放牧地には28歳のニッポーテイオーを筆頭に、26歳のダイユウサク、そして21歳のウイニングチケットがいた。だから、まだまだ元気でいてくれるだろうと思っていたが、彼の現役時代同様に、あれよあれよという間に逝ってしまった。不謹慎かもしれないが「やられた!」という思いが強い。

 AERUの放牧地では奇妙な馬関係が出来上がっていた。もっとも運動量が多いのはウイニングチケット。あまり動くのが好きではないダイユウサクを追いかけまわそうとすると、見かねるようにニッポーテイオーが間に入る。それを少し離れたところから見ているのがサニーブライアンだった。そのレースぶり同様に、ほかの馬から少し離れたところが落ち着くようだ。

 もっとも若く、そしてもっとも新参者。2007年の種付けを最後に種牡馬を引退して、そしてAERUに移動したばかりの頃に訪ねたことがある。いかに全身麻酔の去勢手術明けとはいえ、わずかな期間にずいぶんと肉が落ちていることに、言葉を失った。

 「もう種付けをする必要がないのだから、功労馬らしい体にしてやらないと逆に負担がかかるんだ」と教わった。それから半年ほど経過して再び同馬を訪ねたとき、はちきれんばかりの種牡馬時代とは似ても似つかないが、逆にしっかりとした骨と筋肉に包まれ、たくましさを増したサニーブライアンがいた。

 最後に会ったのは昨年の暮れ。別の馬の取材でAERUを訪ねた。雪に埋もれた放牧地の柵沿いのところで、やはりいつものようにポツンとたたずんでいた。「ほかの馬もみんな元気そうですね」「ええ、元気ですよ」。確か、サニーブライアンを特定した会話ではなかったが、ちょっとクビを下げてウトウトしていたような姿をよく覚えている。

 1997年6月1日、あの日、東京競馬場は、まるでサニーブライアンの優勝を祝うかのように穏やかな初夏の陽射しに包まれていた。生産牧場時代から先頭で走るのが好きだったという馬は、大外枠からの発走にも関わらずに大好きな先頭を譲ることなくゴールを駆け抜けた。「絶対に逃げる」といい続けた大西騎手の気迫にサイレンススズカは共倒れを恐れて先頭を譲り、その結果「1番人気はいらない。1着が欲しい」という言葉を現実のものとした。あれから14回目の春は、もう目の前だが、サニーブライアンはもういない。

 個性的な2冠馬に合掌。