馬産地ニュース

急死したメジロマックイーンを偲んで

  • 2006年04月07日
  • 種牡馬生活時代のメジロマックイーン
    種牡馬生活時代のメジロマックイーン
 G14勝、そしてJRA史上初の獲得賞金10億円越えを果たした競馬史に残る名馬、メジロマックイーンが、4月3日に繋用先の北海道・浦河町の社台スタリオンステーション荻伏で、心不全のため19年の生涯を終えた。

 メジロマックイーンは1987年の4月3日に浦河町の吉田堅牧場で産まれている。父メジロティターン、母メジロオーロラ(母の父リマンド)。
 明け3歳を迎えた2月の新馬戦を勝利し、その年の秋には重賞初挑戦となる菊花賞を優勝。古馬戦線の主役となった4歳時には、皇賞・春でG12勝目を上げると共に、メジロアサマから始まる親仔3代の天皇賞制覇も達成した。5歳時にも天皇賞・春連覇を果たし、6歳時には宝塚記念にも優勝した。
 
 その年の暮れに引退を発表し、安平・社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタート。初年度産駒のエイダイクインがクイーンCを優勝した98年には、149頭もの繁殖牝馬を集める人気種牡馬となる。01年にもタイムフェアレディがフラワーCを優勝した。
 種付け頭数が減少し、種牡馬シンジケートを解散した04年からは、生まれ故郷にほど近い社台スタリオンステーション・荻伏に繋養地を移している。
 荻伏に移ってからも19歳とは思えないほど元気に種牡馬生活を送り、昨年の夏には2勝をあげて菊花賞への出走を掴んだ函館競馬場にも凱旋。当時の姿を知るファンからも大きな声援を集めていた。

 社台スタリオンステーションの徳武英介氏は、「ここで繋養している時に、G1勝ちのお父さんにしてやりたかったですね。性格もフレンドリーな馬で、放牧地はサンデーサイレンスの隣だったのですが、いい関係を築いていました。今は第二のメジロマックイーンの誕生を待つだけです」と語っていた。
 また、メジロ牧場の田中秀俊獣医は、「今年、配合した2頭の牝馬も受胎を確認しています。先日産まれた牡馬2頭は、父と同じ芦毛に出ています。残された産駒たちで、できることなら親仔4代天皇賞制覇を果たしてほしいです」 と話してくれた。

 5月には、メジロ牧場で法要が行われる予定となっている。
 無敵とも言える活躍を見せていた当時、競馬ファンだった自分に様々な良き思い出を与えれてくれた馬として、ただ、冥福を祈りたい。