馬産地コラム

ナリタタイシンを訪ねて~ベーシカル・コーチング・スクール

  • 2017年04月14日
  • ナリタタイシン
    ナリタタイシン
  • 元気いっぱいに駆け回る
    元気いっぱいに駆け回る
  • 森脇さんを見つけて駆け寄って来た
    森脇さんを見つけて駆け寄って来た
  • 厩舎に帰る足どりも早い
    厩舎に帰る足どりも早い
  • ナリタタイシンが育成馬と共に暮らす厩舎
    ナリタタイシンが育成馬と共に暮らす厩舎

 ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンによる3強対決となった1993年の第53回皐月賞(G1)を勝利したナリタタイシン(川上悦夫牧場生産)を訪ねた。現在は日高町にあるベーシカル・コーチング・スクールで功労馬として余生を送っている。

 ナリタタイシンは父リヴリア(USA)、 母タイシンリリイ、母父ラデイガ(USA)という血統。父リヴリアの戦績は41戦9勝、1989年から日本で種牡馬となり、主な産駒にワコーチカコ(京都記念(G2)、金杯(G3)、等)、マイヨジョンヌ(新潟大賞典(G3)2回、福島記念(G3))、ペガサス(新潟3歳S(G3)、福島記念(G3))などがいる。

 現役時代の戦績は15戦4勝。2歳7月に札幌競馬場でデビューし2戦目となる10月福島戦で初勝利を飾った。その後1992年ラジオたんぱ杯3歳S(G3)で重賞初勝利を挙げると1993年シンザン記念(G3)2着、弥生賞(G2)2着とキャリアを重ね、皐月賞(G1)では直線一気に伸びゴール前でビワハヤヒデを捕らえるとクビ差で差し切ってクラシック一冠を達成した。日本ダービー(G1)は3着、1994年目黒記念(G2)に勝ち、天皇賞(春)(G1)はビワハヤヒデの2着。その後脚部不安を発症し、宝塚記念(G1)を最後に競走生活の引退を余儀なくされ種牡馬入りとなった。

 ベーシカル・コーチング・スクールは全天候型の屋内馬場や坂路、ウォーキングマシンなどの充実した施設を存分に使って1歳馬の育成調教を行う競走馬育成専門牧場。仕事に対しての意識を高く持つスタッフが揃う同牧場は今年開場15年目を迎える。「ナリタタイシンは前オーナーとのご縁があって功労馬としてお預かりする事になり、種馬引退後この牧場に来ました。育成家業は1頭1頭とつき合うサイクルが短いのです。そんな中で1頭くらいは「ずっといるね」という存在の馬がいてくれても良いのではないかと思います。来た当初は種馬らしく元気いっぱいでしたが今年27歳になりましたので、背中の肉なども落ちてさすがにおじいちゃんみたいになりましたね。それでも元気で何のストレスも受けずに悠々自適な生活を送っています。羨ましいくらいですよ。」同牧場社長高橋司さんは明るく笑いながらナリタタイシンが暮らす厩舎を教えてくれた。

 生活している厩舎では4名のスタッフが世話をしているそうだ。「午後1時30分放牧、4時30分頃集牧という毎日です。食欲は昔から変わらず旺盛ですよ。若い育成馬に囲まれて生活していますので、タイシン自身も若くいられるのかなと感じています。去勢もせずに牡の状態でいるのですが、悪さをすることはありません。たまに牡らしくカプッと噛んで来たり、鼻でグイグイッと押して来たりすることはありますが、立ち上がったり蹴ったりなどは全くしないとても大人しくて良い子です。平成の3強と言われていたタイシンですので会いに来てくれるファンの方は多いですよ。毎年来て下さるリピーターの方も多いですし、タイシンの誕生日にお守りやお手紙と手入れ用のブラシも一緒に送って下さる方もいるんです。本当に愛されていますね。1頭との付き合いが短い育成牧場ですが私達の中でタイシンは、ずっといて当たり前の存在になっています。年齢的に心配はありますが、サラブレッドの長寿記録を更新するくらい長生きして欲しいです。」厩舎長の森脇仁志さんは日頃の思いを話してくれた。

 放牧地に向かうと、ナリタタイシンが元気いっぱいに駆け寄って来て、何かをお願いしている様子。森脇さんはそれが何かわかっていてまさに以心伝心だ。育成馬に携わる際に「馬が無事である事」を常に念頭に置いているという森脇さんはじめスタッフのみなさんにあたたかく見守られて、これからも健康で悠々自適な生活を楽しんで欲しい。