馬産地コラム

カネトシガバナーを訪ねて~藤春修二牧場

  • 2014年12月24日
  • カネトシガバナー
    カネトシガバナー
  • 若さを維持する馬体
    若さを維持する馬体
  • 人を見つけると近寄って来る
    人を見つけると近寄って来る
  • 人懐っこい性格
    人懐っこい性格

 1998年の神戸新聞杯(G2)、愛知杯(G3)、2001年東京ハイジャンプ(JG2)と、平地・障害両方の重賞勝利を記録したカネトシガバナーを訪ねた。現在は、浦河町野深の藤春修二牧場で功労馬として生活している。

 「夏場は夜間放牧で、寒さが厳しくなる11月位から日中放牧にしています。体調も良好で、世話をするぼくらが羨ましいくらいですよ。食欲もしっかりあります」こう、近況を教えてくれたのは藤春修二社長。福岡県出身の九州男児だ。北海道の土地と牧場に憧れて22歳の時に単身で浦河に来て牧場に就職、馬の繁殖や血統、育成など必死に勉強し身に着けてきた。1990年にこの場所に移り、開業したそうだ。現在は繁殖から育成、コンサイナーまで幅広くこなす牧場となっている。

 カネトシガバナーは父アンバーシャダイ、母カネトシクインという血統。1998年の神戸新聞杯(G2)でキングヘイローなどの実績馬に競り勝って重賞初制覇し、愛知杯(G3)も制し2度目の重賞勝ちをした。しかし古馬となってから成績があがらなくなったため2001年、障害に転向することとなった。障害レース初戦で勝利し、東京ハイジャンプ(JG2)でも勝利をおさめ平地と障害の両方で重賞優勝を果たした。2003年8歳で競走馬を引退後、日高スタリオンステーションで種牡馬となった。

 「日高スタリオンステーションで何年か種牡馬になっていましたが、途中から馬主さんの意向でこちらに移動して来ました。それから間もなく種牡馬を引退することになったんです。当初は環境が変わり不安や戸惑いの気持ちがあったせいか、寂しがったり神経質になっていたこともありましたが、すぐに慣れて落ち着きました。おとなしくて手がかからず扱いやすい馬だったので、そのままうちで繋養することにしたんです。ただ、最初は種馬あがりで体が充実していたので、手入れをするために馬体を触ると嫌がる仕草をした時期がありましたが、いつの間にかそういう癖もなくなりました。」当時の様子を懐かしそうに話してくれた。今はいるのが当たり前の空気のような存在らしい。

 種牡馬をしていたとは思えないほど穏やかで人懐っこいのは馬に対しても同じで、当歳や1歳の馬や、牡馬に対しても威張ったりすることは全くしないという。それでもさすが元種牡馬、発情が近い牝馬などはガバナーの姿を見たり声を聞いたりして刺激を受け、発情が促進されることもあるそうだ。

 どちらかというと女性に人気があるのか、本州から会いにきてくれる常連のファンや、現役時代を知らないはずの若いファンも牧場を訪れるという。19歳だが牝馬にも女性にもモテるせいか毛ヅヤも良く若々しい。

 「結果がすべての競走馬の世界で頑張って来たのだから、今はのんびりとしてこれからも健康で長生きして欲しいですね。」ガバナーが穏やかなのは、温かい人に囲まれて生活できているからなのかも知れない。人懐こいガバナーに是非会いに行ってみて欲しい。