馬産地コラム

ヴァーミリアンを訪ねて~社台スタリオンステーション

  • 2011年12月02日
  • ヴァーミリアン~1
    ヴァーミリアン~1
  • ヴァーミリアン~2
    ヴァーミリアン~2
  • ヴァーミリアン~3
    ヴァーミリアン~3

 2010年12月18日、阪神競馬場で行なわれたヴァーミリアンの引退式は、同馬が愛され、大切にされ続けていたことを再認識するセレモニーとなった。名曲“コンドルは飛んでゆく”が流れる中、ヴァーミリアンは武豊騎手を鞍上に、5年3か月ぶりとなった阪神競馬場の芝コースを軽やかに走り抜けた。

 その間、ヴァーミリアンは7年連続で重賞勝ちを記録(交流重賞含む)し、G1/Jpn1は史上最多の9勝となった。そして、ダート競走では唯一無二となる11億円あまりの賞金を稼ぎ出した。そのほとんどで手綱をとった武豊騎手をして「これでダート界の頂点に立てた」と言わしめたのが、2007年のジャパンカップダート(G1)だった。

 翌年からは舞台を阪神競馬場に移すことが決まっていた「第8回ジャパンカップダート(G1)」は、外国馬3頭、公営競馬から1頭など計16頭で行なわれた。その中で圧倒的な1番人気に指示されたヴァーミリアンはエイシンロンバードがつくった早い流れを中団で追走し、直線に入ると先に抜け出したフィールドルージュの脚色を計るように余裕をもって抜け出した。勝ち時計の2分6秒7は従来のレコードを1秒2更新するもの。去り行く舞台設定とは対照的に「これで、もう1度ドバイに挑戦できる」と陣営が意を強くするに相応しい内容だった。2度に及ぶ海外遠征は必ずしも満足できる結果ではなかったかもしれないが「それもまた思い出。良い仔を出してくれると思うので、それを心待ちにしたい」という武豊騎手のコメントは関係者みんなの思いを代表するものだった。

 そして、ヴァーミリアンは2011年春から社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタートさせている。「日本で育まれたキングマンボ系という意味で大変貴重なものだと思っています。エルコンドルパサーの血を絶やさないためにも頑張って欲しい」と展示会では紹介されたのが、記憶に新しい。

 事務所を出て、放牧地へと向う通路を真っ直ぐに行くと、貫禄を増したヴァーミリアンがいた。隣には来年から種牡馬生活をスタートさせるダノンシャンティとドリームジャーニーがいて、奥にはカジノドライヴがいる。ドリームジャーニーがまだこの場所に染まっていないという中で、悠然とした雰囲気を醸し出していた。1年先輩でもあり、また2011年シーズンで、新種牡馬として最多の216頭に配合を行ったという自信のようなものを感じさせる。その中には重賞3勝のヒシナタリーやオレハマッテルゼの母カーリーエンジェル、米G1勝馬ナニーズスイープの母ナニーズアピールなどが含まれている。

 同スタリオンの徳武英介氏も「能力は誰もが認めるところだと思いますが、長い期間にわたってそれを支えたのは心身が健康であるということだと思います。そういったものを産駒に伝えて欲しいと思います」と言葉に力を込める。

 数々の記録を打ち立てて引退したヴァーミリアンといえどもやり残したことはある。その夢を託された初年度産駒は明年に産声をあげる。